「あかぁぁん!すっかり忘れとった!」


オリーブオイルをひいたフライパンに潰したガーリックを入れ、ほんのり黄金色になってきたところに切ったエビとイカを入れる。油のはねる音を聞きながら少し芯が残る程度に茹で上げたパスタをその上にかぶせ、ゆで汁を少量加えてから塩コショウで味付けをした。完成したパスタを四人分皿に盛り付け、飾り付けに庭になっているバジリコでも摘んでこようか、と思ったところにアントーニョが可笑しな叫び声をあげながらキッチンへと転がり込んできた。は慣れた様子でそれを横目で見やり、デザート用のオレンジにナイフを入れた。


「ちょっ、っ、トマトもつけてって毎日言ってるやん!」
「嫌よ。毎食トマトばかり食べてたら頭がおかしくなっちゃう」
「何言うてるの!トマトこそ俺の命の源やないの!」
「ディナーにはガスパチョつける予定だから、ランチはこれで我慢して」
「それならいいんやけど…じゃなくて、あかんねんて!」
「何が?」


小皿に取り分けたオレンジをテーブルにセットしながら、今日は天気がいいから外でランチでもいいなぁとは思いを馳せた。いかにも大事のように言っているけれど、アントーニョが騒ぎ出すときはほとんどが些細な事件だったりする。最初のころはも一緒になって騒いでいたが、それがその日に履くパンツが決まらないやらロヴィーノからのメールの返信が遅いやら詳しく聞けば聞くほどどうでもいいと思わず突っ込みたくなるものばかりなので段々と学習をして今では話を話半分で聞くことにしている。


しかし今回はなにやら気迫が違うことには気づくべきだった。オレンジで濡れた手を洗おうと方向転換をしたところをアントーニョに捕まえられ、肩と腰に手が添えられ何事かと思っているうちに顔が近づいてきた。あれっ、なにこの状態?


「ちょちょちょちょちょっ!何してんのアンタ!」
「いやいや、大事なことやねんてっ」
「今食事作ってる最中なのにー!」
「お願いやって!一回だけ一回だけ!」
「意味わかんない!」


ギリギリギリ…!二人の激しい攻防を表す象徴のようなその音はアントーニョの首から発せられていた。詳しく言えばに迫ろうとするアントーニョの顔をが手で思い切り後ろへ逸らしている音だ。アントーニョも意地になっているのか引こうとする気配が全く無く、このままどちらかが力配分を間違えれば確実にアントーニョの首はもげそうな勢いだ。


だが数分もそのような体勢はやはり疲れたのか、どちらとも無く相手から離れ、荒い呼吸を整えた。


「な、なんなのアンタ…」
「そ、そっちこそいつもはすんなりさせてくれるやん…」


確かにいつもはアントーニョからしたりからしかけたりとキスは嫌いな方ではない。しかし、今日は理由がある。


「今日は、フェリちゃんとロヴィーノちゃんが来る予定じゃない…見られたら恥ずかしい」


二人が来る時間にはまだ余裕がある。しかし、もしもいつも遅刻をしてくるのに今日に限って少しでも早く着いてしまったら、そして見られてしまったら。まったくの他人ならいざ知らず、弟のように可愛がっている二人に恋人とのラブシーンを見られてしまうなど避けるに越したことは無い。別に見られたからと言って関係が壊れるとかそういうことではなく、ただ単に心の問題だ。


…、ごめんなぁ?俺、の気持ち無視しとったんやなぁ」
「そ、そこまで嫌ってわけじゃなかったんだよ?まぁ、見られたんなら見られたで別にそんなに気にするってわけでもなくて!」


見るからにしょげてしまったアントーニョを見て、思わず口をついて出てしまった言葉には墓穴を掘ってしまったような気がした。これでは行き成りのキスにただビックリしただけみたいに聞こえるじゃないか!付き合って間もない間柄でもないくせに純情ぶって!


があわあわと何か言おうとしていると、アントーニョがにっこりと笑っての手を取った。そのまま口元へ近づけていき、指先に軽く触れるキスをした。


「さっきも思ったんやけどな、の手オレンジの匂いしてめっちゃおいしそうや」
「…」
「なぁ、キスしていい?」
「…ばーか」


先程まで張り詰めていた緊張が一気にほぐれ、はなにか言いかけていたアントーニョの首に腕を回して唇を合わせた。すぐに腰に手を回されて、そのままくっついているとさっきまでは聞こえていなかったテレビの音が聞こえてきた。なにやら歓声やらラブコールやら騒がしく、何の番組だ?と訝かしんだがすぐに目の前の行為に夢中になりそれどころではなくなった。数分経ってやっと離れて、頭の中が良い感じにピンク色になっているところにまたしてもテレビの音が耳に入った。「これでギネス記録達成です!」ギネス記録?


「何…?今日なんかあったっけ?」
「あー…、また忘れとった。でも、一応これで参加したことになんねんかな!」


何の話だ?視線だけでそう問うと、手を引かれてダイニングへ連れて行かれた。テレビの中で中継されていたのは、道端でどれだけ多くの人がキスできるかというギネス記録に挑戦する、というイベントだった。一瞬なんてアホなことを…とは思ったが、頭の中で引っかかることが浮かんだ。あれ、まさかこれって。


「…アントーニョ」
「本当はこの現場に行って参加したかったんけどなー、ついすぽーんと忘れてもうてたんや」


これか!最初に「あかぁぁん!すっかり忘れとった!」とか言って騒いでいたやつは!こ、この男はトマティーナといい牛追い祭りといいなんでこんなにイベント事が大好きなんだ!基本的にはもお祭り騒ぎは大好きだが、流石にテレビに映るようなことはあまりしたくない。ギネスということは証拠品としていつまでもその映像が残るということだ。なんという羞恥プレイに付き合わせる気だったんだこいつは!と一瞬殴ってしまいそうになったが、次のアントーニョのひと言でその怒りは収まった。


「でも今思ったらキスしてとろけたを他の男に見せるなんて駄目やな、独り占めしとしたいもん!」
「…ばか!」







「…ヴェー、すっかり二人の世界だよー」
「あいつら、俺らが来るってこと忘れてんじゃねーのかチクショー」
「兄ちゃーん、近くにお店あったからさ、何かお土産に買って来ようよー」
「そうするか…代金はお前持ちな」
「ヴェー!?」


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