俺はいつだって失ってばかりの人生だ。





容赦なく照りつける日差しを睨みつけ、ニールはこの国の暑さはおかしいと心の中で悪態をつく。片手で影を作り目元へ持っていくが頬を流れる汗は止まらなく、アスファルトからの照り返しを立ち止まったことでより一層感じてしまった。ここ数日の記録的な猛暑はこの国に慣れていないニールを蝕んだ。彼の故郷も夏は暑かったがこの国のように湿気を含んだじっとりとまとわりつくような暑さでなく、どこかカラリと爽やかさを感じるものだったので蒸しかえる暑さと言うものは酷くこたえる。しかし今ニールのいる一般的には田舎と呼ばれる場所は都市部と比べてまだマシな方らしい。コンクリートで土の色を拝めない経済都市ではアスファルトが反射に反射を繰り返しその上人の数も多いものだから、…これ以上は余計に暑くなるのでニールは考えるのを止めた。

風があればまだマシだが、今日はなんの因果か風はさらりとさえ吹いてくれない。風に揺られるタンボのイネ、の音はニールは嫌いではない。これがワビサビか、と思っていたがどうやら違うらしい。この国の文化はまだよく分からない。箸の使い方は覚えたがまだ上手く使えないな、と異国間における文化の違いについて考えることで暑さを紛らわせていたが何十音にも聞こえる蝉の声がニールと現実へと引き戻した。

「暑い…」

これは言ってはいけない言葉であったことをニールは口にした後に後悔した。何故この地元の子供ですら家から出てこないくそ暑い中歩いているのか、勿論散歩などではない。この気温の中誰が好き好んで散歩になんて出るものか。サウナに入っていたほうがよっぽど涼しいわ。それもこれも、行き成り「こんなに暑いとスイカが食べたくなるな、よしニール、ここは一つおつかいに行って来てくれ」と今頃は一人空調の効いた部屋で涼やかに読書に勤しんでいる奴が言い出したからだ。衣食住全て世話になっている弱みもあり、ニールは文句を全て喉元で飲み込みサンダルを引っ掛けて夏真っ盛りの空間へと乗り出したのだった。



「ああ、ご苦労、暑かっただろう。冷やしてから食べようか、冷蔵庫へ入れておいてくれ」

拾われたのは四年前。年の差は七。書類の上では親子。

「なぁ、なんで冷蔵庫に銃があるんだ?しかもまた改造銃…。心臓に悪い」
「ああ、勝手に冷蔵庫開けた奴(ニール)撃退用に置いたんだが、弾切れしてしまって」
「自分で置いて自分で引っかかるなよ!あと俺を殺す気か!」
「訓練だよ。強くなりたいんだろ」
「それとこれとは…!」
「同じだろう?はい、隙あり」
「っぎゃああ!!」

本当は、殺しの指導をしてくれる人。たぶん、凄く強い。



頼れる親族が居なかった為に入った孤児院は十二の誕生日を迎えた日に抜け出した。考えていたことはずっと復讐で、ここにいてもそれは果たされないと考えたから。このまま、小さな子供たちと一緒にずっと平和に暮らすという選択肢は簡単に捨てれるものではなかったが、天秤にかけると復讐へと傾いた。裏の世界なんて分からなくて、最初は小さなストリートギャングに加わり知識を吸収した。町の表は綺麗でも、裏には必ずこういうものがある。若かったのだろう、当時は恐怖よりも復讐に囚われていた。ピーナッツと呼ばれるわけありな青年たちで構成された小さなものではあったが、好奇心と恐怖心の少なさでそれなりには情報を集めていたと思う。だが波に乗り始めていたころ、調子に乗って大きなチームへ手を出した馬鹿がいて、その馬鹿のために仲間全員が死んだ。正確には生き残った奴が一人、それが自分だった。敵に雇われた奴が突然侵入し、とんでもないスピードで始末を始めた。もちろん全員を殺すつもりだったのだろう、迷いもなにもない動きだった。俺はチームの中でも一番幼かったから、いつも自分をからかって遊んでいた仲間に守られた。押しつぶすように床に引き倒され、息を呑んだときには既に自分を庇った仲間の頭には丸い穴が開いていた。銃声と血飛沫の中で仲間の腰についていた銃を手に取り、恐らくは全てを片付けたと思い油断していた奴に一発叩き込んだ。叩き込んだといってもギリギリで気付かれて腕を掠っただけだったが、血を流させてやったと銃を蹴り飛ばされたときに笑ってやった。がつんと重い衝撃が体を襲い、次の瞬間には既に意識は飛んだ。

起きたらそこはベッドの上で、今までのは全て夢だったのかと思ったが体が痛みを訴えていたのですぐに周りを見渡した。椅子に座ってこちらを見ている女が一人いた。そいつは俺が目覚めたのを見て、満面の笑みを見せながら(この時点で何か嫌な予感はしていた)「おはよう、わが息子よ」とのたまった。

思考が真っ白になり、たっぷり二十秒くらい固まってから何を言ったかは必死すぎて覚えていないがその女に向かって何かを叫んだ。それをにやにやと聞きながら、もう手続きは済ました、だの、ママって呼んでもいいぞ、だの、およそ普通の生活をしていたら出会わなかったであろう場面に俺は混乱したのか、「俺は母さんって呼ぶ派だ!」と言ってしまったのは、何故か、よーく覚えている。これは後から聞いた話なのだが(当時はあまり話してくれなかった。俺が聞きたくなかっただけなのかもしれない)、油断をしたとはいえ小さな子供(に、見えたらしい)に怪我をさせられて覚えた感情は怒りではなくこいつを育てたいという母性本能だったらしい。だからと言って七歳差しかないむしろ弟といったほうが自然な子供を捏造をしたとはいえ養子に迎えるなんてことは当時十九歳だった少女と言ってもまあ差し支えはない女がすることではない。そりゃあビックリしたし嫌だった。自分の仲間を皆殺しにした奴が書類上とは言え母親で、一緒に暮らすなんて死んでも御免だと思ったし、何度も逃げようとした。しかし其のたびに連れ戻され、軟禁に近い状態で閉じ込められる。あまりにもすぐに見つけられるので体のどこかに発信機がついているのではと思ったが残念ながら見つけることは出来なかった(埋め込まれていないことを切に願ったものだ)。そんな逃走→捕獲→拉致軟禁も記念すべき五十回を迎えたとき、「絶対、逃がさない」という凶悪な笑顔と共に自分を引き倒した女に心底恐怖してそれと同時に何故かぞくぞくしたものを覚えて、俺は逃げることを止めた。

仲間の死を忘れたわけではない。だが、今を受け入れなければ先には進めなかった。仲間の敵討ちのために自分まで死んでは本末転倒というものだ。本来の目的を思い出せ、ニール。長いものに巻かれろ主義で生きろとリーダーもよく言っていたから許してくれるだろう。



言葉の通り、物凄いスパルタで技術を磨かれてすくすくと俺は技術を身につけていった。正直に言えば凄く辛くてしんどかったが、思えばそうでもしなければ今俺はここまで成長できていなかっただろう。自分で言うのもなんだが、俺の銃の腕前はめきめきと上達した。だけど弟子が師匠を越えるにはまだ経験が足りないらしい。組み手をしても射撃をしてもまだ俺はあいつに届かない。


「家でくらいママと呼んでくれてもいいじゃないか」
「い・や・だ!俺の母さんは一人だけだって何回言ったら分かるんだ!」
「だって私子供が欲しかったんだ」
「産めばいいじゃないか!七歳差で親子は無い!」
「…産む、か」
「…、え?もしかして、体、」
「いや、健康体だけれども」
「俺の心配を返せ」

いわば思春期という時期らしい俺は何かにつけて構ってくる―母さんと呼ぶには抵抗がありすぎるので名前で、だ―に少しだけうんざりしていた。というのは建前で、暴露してしまうと俺はに母親には抱かない、いやもしかしたら抱く奴はいるのかもしれないが俺は抱かない、まぁそういう感情つまり恋心を抱いてしまったのだ。いつの間にか。気付いたら。俺は実はものすごい精神的マゾなのかもしれない。近くにいるから分からないだけかもしれないがは外見がほとんど変わらない。いや、昔と比べると大人っぽくなってはきているが、二十三という年のわりには童顔、と言えばいいのだろう。それを抜きにしても、いや、理由なんて全てが後付になってしまうから理由なんてどうでもいい、俺はが好きなのだ。なのに。

「息子は反抗期か、こんなときはどうすればいいのだろう。こっそり息子のベッドの下にエロ本でも忍ばせるべきか」
「その行動からしておかしい!それでなにを望むんだ!」
「私がそれを見つけてにやにやするだけだ」
「自分で仕込んで何が楽しいんだあんた」
「反抗期なんだ」
「俺はそんなんじゃない」
「私が」
「おまえがかい!」

いつだってこんな調子で、俺を息子扱いしたがる。書類上親子だったって、実際には男女なんだからなにかあるだろうという淡い期待は持たない方が傷つかないと俺はもう知っているが、どうにもやりきれない思いでいっぱいだ。



「ああ、貫通してるな、弾は残ってない。動かせるか?」
「ギリギリ…あー、でも痛い」
「そうか、成長期だもんな。伸びた分の身長と腕の長さは計算に入れてなかった」

素早く傷の手当をしては納得したように頷いて自分の銃に弾丸を補充した。

「今日は実践に行ってみようと思う」、今日の朝、朝食の準備をしている俺に向かっては新聞を読みながら今日はパンよりもコメがいいな、と言うかのように言った。俺は何を言われたのか一瞬よく分からなくて、コップに注いだミルクを一口飲んでから「は?」となんとも間抜けな声を出した。実践?誰が?「私とニールが」が言うには今日本にいる人間で始末を頼まれた奴がいるのらしい。最近は俺の訓練にばかり時間を割いていて仕事を全て断っていただが、今回の依頼主はを殊の外気に入っているお得意さんなので断りきれなかったらしい。ターゲットはどこかに隠れていて、それがニホンだと分かった。ちょうども今ニホンにいる。一回の仕事で莫大な報酬をもらえるので今の生活に不自由は無かったが、そろそろ仕事を再開しないと腕が鈍るのに加え俺の力がどのくらい上達したのか見てみたいとも言っていた。

俺は自分の力が試せる場が与えられたことにようやくか、と思って喜んだのと同時に、でもそれは人を殺すということなんだと少しだけ怖くなった。ストリートチルドレンに居た頃はグループ同士の争いなどで人に暴行を加えたことはあっても殺しをしたことは無かった。甘いとは分かっている。もそれを感じ取ったのか「怖いなら今度にしてもいいが」と言ってきた。も俺の甘さとは違う意味で、俺に甘い。俺は手が震えているのを隠すようにして行くと答えた。

「あちらも必死だな。でも見つからない思っていたのか護衛は薄い。ニール、出来ないなら言ってくれ」

この言葉は俺を心配してのことではないことは分かった。出来ないなら足手まといになるからここにいろ。そういうことだ。俺はずきずきと痛む脇腹を押さえてやれると言った。やってやるさ。初戦で黒星なんて格好悪いにも程がある。それにここでやっていかないとに見切りをつけられそうな気もした。そんなことは無いのだろうけど。



初めての人殺しをしてから二週間が経った。そのころにはもう腹の傷は塞がっていて痛みは無い。の処置がよかったのか傷はほとんど残らなかった。慣れているんだな、と今更ながらにこの世界でどれだけ長くが生きているのか実感した気がした。

はここぞとばかりに俺の世話を焼きたがった。普段はズボラな癖して弱っている奴の世話は自らしたがるおせっかいさを遺憾なく発揮してきて風呂の中にまで入ってきたときにはいっその事襲ってしまったほうがいいのではないかと思った。私はニールの母親だからな、と全身で物語っているような世話の焼き振りだったが、だからと言って青年期の息子にここまでする母親なんていないだろう。



また何度かは俺を伴い仕事をこなして、俺はもう最初のような失敗はしなくなった。そして俺は十八の年を迎え、との”親子ごっこ”もかなり様になっていた。

「そろそろニホンを離れようと思う」

俺たちがニホンに滞在して早くも一年。いつも転々と住居を移動してきた俺たちにとって、ここは一番長く居続けた国ではないだろうか。最初は文化が合わず生活にも慣れることが出来なかったが、一年もいれば慣れて愛着も沸いてくる。だが、全ての金を賄っているがそう言うのだから俺がいくら愛着を持ち始めているとしても聞き入れてくれる可能性は低いだろう。今度はどこの国だろうか。その国ではは俺に一人で仕事をさせてくれるだろうか。もうにフォローをしてもらわなくても大丈夫だ。、俺をはもう一人で生きていけるって事を試してくれよ。

俺は別にと離れたいと思っていた訳ではなかった。ただ、一人前のスナイパーとして、一人の男として見て欲しかっただけなんだ。ずっとは俺のことを子ども扱い(自分の息子扱いとしても)していた。だから俺は早くが認めるような人間になりたかったし、そのための力だってもう備わったはずだ。

「ニール、今日はシチューがいいな。ミルクとジャガイモたっぷり入った奴」
「はいはい」

は朝が弱いので朝食を作るのはいつも俺の役目だったが、昼と夜は必ずが作ってくれていた。だが今日はなんとなく(今日がニホンで過ごす最後の夜だからかもしれない)、俺が夕食を作ると言い出したのでがそれに甘えてリクエストをしたと言う塩梅だ。どんな無理難題を吹っかけられるかどきどきしたが、(この国の昔話で見た、カグヤヒメの傍若無人な要求のように)ははにかむような、なんだかやけに可愛い表情でシチューが食べたいと言った。普通、これは夏に食べたがるようなものではないのだが、がそう言うものだから俺は飛び切り上手いシチューを作ってやった。俺は少し懐かしい気持ちでそれを食べた。クリスマスに、両親と、兄妹と一緒に食べたな。あの頃はまさかこんな人生になっているとは想像もしなかった。今季節は夏だし、国も違う、隣にいるのは自称母親の俺の片思いの女。誰がこんな未来を想像できるものか。

が「ニール、君は今度はどこの国に行きたい?」と言うから俺は真っ先に「アイルランドがいい」と答えた。何年も離れていたから久しぶりに帰りたいと思ったのだ。もう俺の帰る場所なんて無いのだけれども。断られても不思議では無いと思っていたが、意外にも二つ返事で承諾してくれたので少し呆気に取られた。

「いいのか?俺はアンタの行きたい場所に付いていくぞ」
「いいんだよ。たまには可愛い息子の頼みを聞いてあげなくてはな」



変わらない故郷の風景に懐かしさを覚える暇も無く俺たちは仕事に追われていた。俺の技量を高めるためにかがたくさん仕事を引き受けているからだ。やっぱりヨーロッパはニホンと違って仕事が多いなとがぼやいていた。数年後に大きな何かがありそうだ、とも。

「それは勘か?」
「勘だ。女の勘はよく当たるんだぞ。怖いくらいにな」

そう言っては笑った。

「今度、私MSに乗れるらしいんだ」
「MS…?」

MS、それは各国家軍が所有している人型の戦闘兵器のことだ。いきなりそのようなことを言われても、想像がついていかない。それほどに殺し屋と大量破壊兵器が結びつかなかった。両方とも人を殺すとは言っても、殺しの質が違う。どちらがより高尚だなどとは口が裂けても言わないが、あまりに唐突だ。何故だ?

「AEUのお偉いさんで私と懇意にしている人がいるんだがな、そいつが私に新型の試乗を頼みたいと言ってきた」
「アンタ、MSに乗ったことあるのか?」
「実はあるんだな」
「…アンタが何を過去にしていてももう驚かないな」
「そこは驚いて欲しいな。ホラ、そのほうが私が楽しいし、息子には尊敬してもらいたい」

ここで俺が笑って終わらせていれば、いつもと同じぬるま湯のような”親子ごっこ”だったはずなのだが、どうしてか俺は今日に限って口が滑ってしまった。

「もう俺、大丈夫だぜ?」
「…何が?」

はそれだけで俺が何を言おうとしているのか察したらしい。本当に、女の勘と言うのは怖い。

が俺の母親になろうとしなくても、もう俺は十分だ」
「待て、ニール」
「アンタが俺に家族ってものを教えようとしてたのは、結構前に気付いてた。だから母親になろうとしてたのも」
「ニール」
、アンタのお陰で俺は」
「ニール!」
「…なんだ?」
「君は何か勘違いをしている」
「勘違いなんかじゃない。俺だって成長してるんだ、知らなかったのか?」
「違う、ニールにはまだ私が必要なんだ」
「必要だ。でも、それは母親としてのじゃない」
「ニール、私はお前の恋人にはなれない」
「だからといっては俺の母親にはなれない」
「君は酷い奴だな。どうしてだ、今まで上手くやってきたじゃないか」
「分かんねぇ。俺だって分かんねぇよ」

は考えさせてくれ、と言ってベッドルームに入っていった。俺はソファに沈んで掌を見た。そこにはがくれた皮のグローブがはまっていた。

朝、目が覚めたら既にの姿は無かった。部屋中を探したからそれは確実だ。机の上に朝食と、”昨日言っていた仕事に行って来る”と書かれた紙が置いてあった。、あんた朝弱いんじゃなかったのかよ。ラップの上から触った朝食は既に冷たくなっていた。



そしてはその日以来帰ってこなくなった。最初はただ仕事が長引いているだけかと思ったが、いくらなんでも連絡をせずにこんなに何日も家を空けることなんて今までに無かった。怖くなった俺は勝手にの部屋に入ると机の上にある端末を開いて、机の裏の隠し金庫に入っていた長細い端末をキーボードの横の穴に差し込む。するとモニターには勝手にAEUの軍事機密のページにアクセスして機密情報が次々に映し出された。これはが開発したどこにでもハッキングできるという物凄いもので、その分扱いは慎重にしなくてはすぐにポリスが飛んできて豚箱入りという危険な代物だ。だが俺はそんなことは気にせずに映し出された情報を見る。

某月某日 AEU新型MSイナクトの性能実験を兼ねた戦闘により、ポイントB782で五機中四機がロスト。
     残る一機も3キロ離れたポイントF478にて大破。生存者無し。
     性能実験のデータによりイナクトの更なる改良が今後の課題に。

血の気が引いた。そしてパイロットの名前にの使っている偽名を見つけて俺は目の前が真っ暗になった。



ブーツを履きガンベルトを腰に巻く。デリンジャー装置を埋め込んだ携帯端末と、特注のリボルバーを然る場所に収める。ライフルはスーツケースに仕舞い、スーツを着込み観光客を装う。俺はがいなくなってから裏社会で名を上げ、プロの殺し屋になった。と住んでいたアパルトマンは撤去し、今ではホテル暮らしが続いている。今回の依頼人は自分のいるホテルに俺を呼び出して話がしたいらしい。殺し屋に直接会いたいなんて物好きがいるものだ。俺はカードキーを掴んで部屋を出た。

俺が仕事以外で初めて殺しをしたのはAEUの上層部にいるお偉いさんだった。今まで遠距離を専門としていた俺が始めてゼロ距離で頭を撃ち抜いた相手でもある。

「オードリー・スミス様ですね?八階の八○九号室でターニャ・ワイズ様がお待ちです」

前もって告げられていたのだろう、俺はフロントで八○九号室のキーを受け取り、エレベーターに乗った。おそらく相手も偽名を使っている。あちらも俺のこの名前が偽名だとは分かっているだろう。八○九号室のドアの前まで来て、いきなりキーを差し込む前にノックをしようと右手を構えたが俺の指はホテルの上質なドアにぶつかることなく宙を切り、内側に開かれたドアの中から出てきた手に腕を取られ部屋の中に引っ張り込まれた。そして体勢を整える前に内側のドアと熱いベーゼを交わす羽目になり、右腕を後ろで無理な角度に固定され、背中にゴリ、と硬いものが押し付けられる。迂闊だった。相手の銃は俺の背中、俺の銃は相手のおそらく頭に照準が向いている。咄嗟に左手で腰に隠していた銃を抜き取ったのだ。相手が依頼主に成りすました殺し屋ではないという確証なんてどこにもないのに、何故こうもノコノコと誘いに乗ったのか。

「咄嗟の判断も素晴らしいな。流石、この世界で名を馳せていることはある」

後ろから声がした。女の声だ。頭を狙われているというのにその声には恐怖や緊張などは無く、笑いが含まれている。俺の心臓を後ろから狙っているからというわけではなさそうだ。

「このくらいじゃないと、俺が欲しいものは何も手に入らないから、なっ」

ねじ上げられている右腕を強く下に引き反動で外れた相手の腕を掴む。そのまま体を反転させて女の肩を掴み体勢を逆転させる。強かに背中をドアに打ち付けたので女が小さくうめいたが、素早く銃を今度は正面から俺の胸に突きつけた。俺の銃も相手の胸に突きつけられている。互いに息一つ乱していない。俺も相手もプロの殺し屋だ。ただ、師匠か弟子かの違いだけで。

「…誰に頼まれた?」
「誰にも」

挨拶も何も無い、ここにいるのは二人の殺し屋だ。殺意の篭った瞳が交差する。だけど。

「ただどのくらい成長したか、母親としては気になるところだったからな」
「そのテストの結果はどうだった?」
「合格だ。…もう息子に母親は必要ないな。私も息子離れしてもいい頃だ」

首を少しだけ傾げて笑顔を見せる。懐かしい笑顔だ。生きているなんて、今の今まで知らなかった。心臓が早鐘のように鳴っている。今思えば、MSが大破する前にこの女なら脱出していても不思議ではない。まだ銃口は互いの心臓を狙ったままだ。この距離で発砲したなら外すことはまずないし、確実に二人とも即死だ。だが俺の手はいま震えていて、指に力をこめることは難しいかもしれない。掴んでいたの腕を放す。白い手首に俺の手のあとが出来ていたのが一瞬見えたが、すぐにの背中に回されたのでそこに優しくキスする機会は奪われた。銃はそのままに、背中に回された手に力がこめられてより一層密着する形になる。互いの銃が胸に食い込んだ。

「ミスタースミス、貴方の気持ちはまだ変わっていないのかな」
「ミスワイズ、それは愚問というものだ。…母親だったんだから、俺のことはなんでも知ってるだろ?」
「勿論。可愛い息子が可愛いマミーにずっと恋焦がれていたことは知っていた。…今も変わりは?」
「無い」
「そうか。…では、今度は親子ごっこじゃなくて、恋人ごっこをする気はないかな?」
「…何年も親子ごっこができたんだ。それが恋人に変わったぐらい、なんだ」
「昔から、変に器用だったもんな、君」
、愛してる」
「私もだ、ニール」

互いに体を抱き寄せる。手にあった銃はゴトンと音を立てて絨毯の上に転がった。互いに空気を奪い合うように唇にかみつく。抱きしめてみて初めて分かった、小さな体。俺は昔から大事なものは失ってきた。まずは家族。愛していた。それがいきなり奪われた。その次はストリートチルドレンの仲間たち。家族を失った子供が集まって好き勝手していただけだったが、俺に懐かしい家族というものを教えてくれた。だが一つの失敗から皆を失った。そして。俺の仲間を殺し、勝手に俺を息子呼ばわりした変な女。憎しみはいつのまにか愛情に変わっていて、家族を二度も無くした俺にもう一度家族というものを教えようとしてくれていた。それなのに勝手に死んで俺の前から消えた。なのにこうして足がしっかり付いている状態で俺の前に現れた。いつも勝手に奪って消えて、そして与えてくれる。俺に必要な存在だ。俺の失ってばかりの人生の中で、失わなかったものが今腕の中にある。




最短距離で狙い撃ち





ストックホルム症候群様へ!捏造が妄想レベルまで達していて申し訳ないです。素敵企画ありがとうございました!

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