朝目が覚めると違和感があった。がまだ鈍い頭を動かして横を見てみると、の隣にぴったりとくっついた状態で寝ているアレルヤの姿が見えた。少し前までアレルヤは情緒不安定で、夜中に起きてのベッドへと潜り込んでくることが何度かあった。今は、甘えてくれているのだろうか。はアレルヤを少しの間見つめて、包み込むように抱き寄せた。

「ん…」

何か違和感を感じたのか、アレルヤがの腕の中でもぞりと動いた。柔らかい体だ。二ヶ月前の彼は、もっと固くてこんなに抱き心地は良くなかった。アレルヤに抱きしめられていた自分の体もこんなに柔らかかったのだろうか。今のならばアレルヤを抱きしめればすっぽりとその細い体を隠してしまえる。その感覚に未だ慣れず、少し奇妙な感覚になるが、いつかは慣れてしまうことなのだろうか。ちょうど二ヶ月前、世界規模で人類に突然変異が起こった。



最初に気付いたのはだった。その日はまだ太陽が昇っていない時間に目が覚めて、喉の渇きを覚えたのでキッチンへと水を飲みに行こうとした。伸びてきた前髪を掻き揚げてベッドから降りようとしたところで何かがおかしいと気付いた。掌の感触がいつものものではない。立ったときの周りの景色がいつもより高い。そして今晩は何も計画しないで洗濯をしてしまったためにアレルヤのTシャツを借りて寝た。ぶかぶかの筈のそれが体にぴったりになっていた。は心臓が妙に脈打ったのを感じ、震える手を口に当ててベッドの端へと座りなおした。頭の中でダメだと思いながらもゆっくりと手を胸に当ててみる。そこには長年親しんだ柔らかなふくらみは無く、代わりに硬い胸板があった。落ち着け、もしかしたら一晩で知らず知らずの内に体がビルドアップしただけかもしれない。じわりと汗が額に滲んだ。怖い。確かめるのが怖い。そろりと足の付け根に手を当てると、今まで生きてきた中で絶対に存在していないはずのものがそこにあった。

は急いで自分の部屋を出てアレルヤの寝ている部屋へと向かった。乱暴に開いてしまった扉が壁に当たった音は最早の耳には届いていなく、驚いて目を覚ましたアレルヤの姿を見ては固まった。寝ぼけ眼だったアレルヤの瞳が驚愕に開かれる。

「っ誰だ!」

アレルヤはの姿を見てそう叫び、自分の声が高くなっていることに気付いて戸惑った。いきなり知らない男が寝室へ侵入してきて、真っ先に考えたのはが無事かどうかだったが目に入ってきた光景に目の前が真っ白になった。

「…アレルヤ」
「こ、…れは…」

アレルヤの目には自分の胸についている二つのふくらみが映っていた。それはトレーニングで盛り上がったものなどではなく、柔らかさを持った寝る前には自分には無かったものだ。恐る恐る触れると柔らかく弾力があり、一昨日堪能したの胸と同じような感触だ。無意識に喉が鳴る。扉の前で呆然としている男に目を向ける。まさか。

何か言葉を発する前にその男が動いて、ごめん、と言いながらアレルヤの股間を触った。余りのことに咄嗟に反応できなかったアレルヤだが、そこを意識するとあるはずの物が無いことに気付いた。目の前の人物もそのことに気付いたのか目を見開いたが、どこか予想していたのかアレルヤのように息は呑まなかった。アレルヤとは目を合わせ、お互いの性別が逆転していることを理解した。


世界中がこの現象に陥ったと知ったのはその日の夕方で、固まっていても仕方が無いと思い二人で一日中テレビを点けていたところをその情報が流れ出した。最初にテレビを点けたときは恐らくあまりの状況にどう対処していいのか分からなかったのだろう、どのチャンネルに回しても砂嵐が吹き荒れるだけだったのだが、回りの人間が全て性別逆転していることに気付いてか我先にと言わんばかりにテレビから情報があふれ出した。一日中情報を集めて分かったことは、これは世界中の人類に起こったことであり、これが起きたのは午前一時、おそらく全ての人間が性別逆転をしており、そして何時戻るか分からない、ということだ。

「この人、」
「うん」

慌ただしく入ってくる新しい情報を読み上げている男性を見て、がぽつりと漏らすとアレルヤがそれに応えた。朝の顔として有名だった美人のアナウンサー。そのアナウンサーと同じ名前の整った顔の男性だ。二人の想像通り、同一人物なのだろう。アナウンサーとしての仕事の顔を完璧に使いこなしているのか、このような状況であっても慌てる様子が無く淀みなくしゃべり続けている。一番早く情報が入る場所にいるということがそれを可能にさせているのだとしても、たいした精神力だとは思った。

そろそろ首が辛くなってきて、が体勢を変えたことでの手がアレルヤの手に触れた。思わずハっと手を離してしまい、がしまったと思いアレルヤの様子を窺うとアレルヤは何かを考えているように自分の手を見ていた。いつも握っていたアレルヤの手の感触と違う感触に驚いてしまったのは確かだが、女になってしまったアレルヤに触るのが恐ろしいということではなかった。アレルヤはどう思っただろうか。は性別が変わってしまった恋人には触れもしない人間だと思っただろうか。違う。違うのだ、まだ体が慣れていないだけで、心は変わっていない。自分は男になり、恋人は女になったという状態にすぐに順応できたわけではないが、今はその事実を受け止めている。むしろ受け止め切れていないのはアレルヤの方ではないだろうか。が気付いただけでももう十回以上はの行動を目で追っている。性別の変わってしまった自分をどう思っているのだろう。女のときにあった柔らかさは今のには無い。あるのは男性特有のごつごつとした硬さだ。気持ちまで逆転したわけではない。の気持ちは女のときのままだし、アレルヤだって男のときのままだ。中身が男である自覚を持ちながら、恋人と言えど見た目が男であるに接することにアレルヤは抵抗を感じているのではないだろうか。の中に不安が過ぎった。まだは女であったときに、友人との触れ合いのスキンシップを取っていたこともあり、女の姿のアレルヤに触れることに抵抗は無いが、アレルヤは人とのスキンシップを自らするタイプではなかった。知り合って、付き合うようになってやっと触れ合うようになったのに、一応は初対面になる性別逆転した姿に抵抗を覚えるのは無理のない話かもしれない。

はアレルヤの性格も考え、少し一人で考える時間が必要なのではないかと思った。今日人類史上で始めての出来事が、誰一人の例外なく人類に降りかかったのだ。自分の関与していないところでの事件ならば野次馬のようにただニュースを見て、おかしなことが起こるものだと専門家の意見を待ったりするのだが、これは全員が当事者だ。人間価値観が全く同じなどということは起こるはずが無い。人それぞれに自分の中でこのことを纏めることが必要になる。の中では一区切り付いたものだが(まだ謎はたくさんある。ただ焦っても仕方が無いと割り切っただけだ)、アレルヤの様子を見る限りでは一人にさせたほうがいいのかもしれない。アレルヤは悩みがあると人に相談しないタイプの人間だ。今までもそうだった。頼って欲しいと思わなかったわけではないが、自分がしゃしゃり出て余計にアレルヤを悩ませるのは不本意だったので今まではそっとしておいた。だから今回も、と思いは自分の部屋へと戻ろうとした。

「待って」

だからここで引き止められるのは予想外だった。

「今日…一緒のベッドで寝てもいいかな」



性別の違いが精神力の違いを生み出すということをは信じているわけではなかった。だが、実際に男になってみて、女であったころとは少し自分の考え方が変わったのではないかと思うことが何度もあった。今ではアレルヤよりもの方が力が強い。アレルヤが重いものを持っていると手伝ってしまうし、化粧をしなくてもいいと思うと外見への配慮が薄まった。肉体的な機能性が生きていくうえでの考え方や立場を変えてしまうのかと思うと少し背中が寒いものがあった。これでは今まで生きてきた自分を否定してしまうのではないか。この恐怖に人類全ての人が陥っているのだろうか。

しかしそう考えていたのは本当に最初だけで、最近ではこうなってしまったものは仕方が無いと楽しく生きている。テレビでも男だったとき、女だったときと違うことはなんですか?と街行く人々にインタビューをしている。「最初トイレのときどうしようかと思いましたね。立ってすることなんて無かったもので」「服を選ぶのが楽しくなったことかな。前はこんなに買い物が楽しくなかったし」「恋人と一回別れてまた付き合ったんですよ。最初は無いなーって思ったのに、やっぱりスキなのはこいつだったのか、って思って。いやあ性別が変わっても愛は変わらないんですねぇ」

は性別が変わってから二日後に、友人に連絡を取ってみた。心の中では分かっていたが、やはり実際に姿を見るのも見られるのも怖かったので、電話でだ。数回コールがなってから友人は電話に出た。もしもし、という声が低いものに変わっていて、少しだけなんとも言えない奇妙な感覚に襲われたが、の声を聞いたあちらもそう思っているのかと思うとなんだか笑ってしまった。現在のお互いの状況を確認したあとは、性別が変わってしまって新しく買った服が着れなくなってしまったことや恋人が化粧をした方がいいのかと聞いてきたことなど話題は尽きなかったが、の携帯電話から充電が切れそうだという音がなり、今度会おうという約束をした後に切った。その後も充電しながら他の友人にも連絡を取ってみたが、ほとんどが現状を受け止めて、中には楽しんでいる者もいた。


今日は一緒にお風呂に入っちゃおうか。の言葉にアレルヤが素直に頷くようになったのは、アレルヤもこの状態を受け入れたからだろうか。最初の頃は互いにどうなっているのかの好奇心でアレルヤを誘ったが断られた。異性だった体が自分のものなのだから見られるのはまだ抵抗があるか、とは思っていたが、後から聞いた話だがアレルヤは変わり果ててしまった自分の姿を見られたくなかったらしい。が好きになってくれたのは男であった自分だから、体を見て変わったことを意識すると嫌われてしまうかもと怖かったのだと。そんなの、私だって同じ気持ちだったということにアレルヤは気付かなかったのかとに詰め寄られ、ようやくそのことに気付いたらしい。アレルヤはが好きだ。今でもその気持ちは変わっていない。つまりそういうことだ。

「絶対、私よりもアレルヤのほうが胸大きい」

体を洗っていたアレルヤは、浴槽に浸かっているの言葉を聞いて何を言われたのか分からないという顔をした後に、みるみると顔を赤くさせた。

「どっ、どこ見てるの!」
「胸」
!」
「腰も細いし…アレルヤの体ってなんかエロいよね。ずるいなぁ」
「な、な」
「私はアレルヤがあったほど身長高くないし。アレルヤは男でも女でもいい体してる」
「…体だけ?」
「中身も。外見がどんなに変わっても中身一緒だから。嫌いになることは無いよ」
「僕もだよ。…でもにリードされてばかりだと、なんだか立つ瀬ないな」
「私は元々好きな人はとことんいじりたい性格だったから」
「…ああ、まぁ」

アレルヤは納得したのか、体に付いた泡を流しながら頷いた。遠慮の無いの手が体に触ってくるのにはもう慣れたが、どこか少しむず痒いところがある。この二ヶ月、キスは数回したが体を重ねたことは無かった。そんな状況じゃなかったこともあるが、未知の体でそんな行為をすることに対してやはり腰が引けてしまったからだ。それに近い雰囲気になったことはあったが、彼女に抱かれるという状態というのが想像できなかったし、もどうすればいいのか分からずにいるようだった。もし今後、またそういう雰囲気になるとしたら、自分は抱かれる立場を受け入れるのだろうか。

「アレルヤ、おいで」
「狭いよ」
「大丈夫」
「変なところ触らないでね」
「気をつけるよ」

は今の状態を楽しんでいる。もしかしたら抱く側という立場を経験してみたいと思っているかもしれない。浴槽にアレルヤも入り、に抱きついた。そんなことをさせるとは思っていなかったらしくは驚いたように数回瞬きをしてからアレルヤを抱きしめた。

「どうしたの?」
「分からない。どうしてだろうね、男のときはこうするのも恥ずかしくていつも尻込みしてたのに、今は簡単に出来た」
「今は恥ずかしくないってこと?」
「…いや、恥ずかしいな。簡単なんて嘘だよ」
「ほら、変わってないよ」

今のアレルヤはの膝の上に乗っている状態で、少しだけ頭の位置が上だ。体を離すと少しだけ顔の赤いと目があった。もしかすると自分はこれよりも顔が赤いのかもしれない。なんだか見つめられるのが恥ずかしくなってきて、俯こうとしたらが下から掬い上げるようにアレルヤの唇を塞いだ。驚いてくぐもった声が出てしまい、部屋中に響いてしまったことに更に顔を赤くしながらも、アレルヤは触れてくるだけのの唇を割って舌を滑り込ませた。今まではやはりお互いにどこか遠慮をしていて、キスをするときも軽く触れ合わせるだけだったのではびくりと一瞬震えたが、アレルヤの動きに合わせるように舌を絡めた。聞こえる水音が口から溢れるものなのか浴槽の水が揺れる音なのか判断できなくなるほど求め合ってから口を離すと、お互いの潤んだ瞳が見えた。

「もしかしたら神様が、私たちの愛を確かめるためにこんなことしたのかもね」
「そうかもね…、そうだといいな。だって証明できた。僕たちは性別が変わったぐらいじゃ何も変わらないって」
「うん。アレルヤ、好きだよ」
「僕も。愛してる」

もう一度強く抱きしめあってから、アレルヤがの耳元で言い難そうに口を開いた。

、聞いてくれる?」
「何?」
「僕、今はがしていた指輪が嵌めれるんだ。だからも僕の前の指と多分同じ大きさだと思うんだ」
「うん?」

は不思議そうな顔でアレルヤを見た。アレルヤは何が言いたいのだろう。それに、アレルヤは今まで指輪なんてしたことが無かったとは記憶している。アレルヤの表情には、今にも壊れてしまいそうな危うい雰囲気が見える。は無意識に息を呑んだ。心臓の音が速まった気がする。自分たちの周りの空気が熱くなったように感じた。浴槽から上る湯気のせいではない。二人から熱い空気が生み出されている。がアレルヤの言葉を待っている間にも、アレルヤは視線を彷徨わせてまだ言おうか悩んでいるようだった。前置きをもう言ってしまったのでもう後戻りは出来ないと感じているようだが、出来れば今すぐに逃げてしまいたいと思っているのだろう。怖い。少しだけ開いた唇の隙間から深い息が吐き出された。

「あの、
「うん」
「たぶん、今を逃したらもう言えない気がしたから、ここで言うよ」
「聞くよ」

もう一度大きな息をして、アレルヤはの目を見つめた。

「…結婚、しようか」
「…」
「性別が変わって、にしてあげられることは減ったと思うけど、僕はに一生側にいて欲しい」
「…結婚?」
「そう、結婚。これからの僕の収入が心配なら、今まで働いてきた貯金がたくさんあるからに苦労をかけることは無いと思う。買った指輪はお互いに逆のものをつけることになるけど、サイズは合ってると思うし、気に入らなかったらの好きなものを買ってあげる。今のこんなときに言うのもおかしい気がするけど、このことが起こらなかったら僕は君にこのことを伝えていた。君は今の僕でも良いって言ってくれたから、今しかないと思ったんだ。僕も今のが好きだし、だから、…聞いてる?」

啖呵を切ったように一気にアレルヤは捲くし立てたが、それを反応薄く聞いていたに不安を覚えたらしい。断りの言葉を聞きたくなくての言葉を挟む隙間を作らなかったのだが、何も言われないというのも逆に怖い。不安そうにアレルヤがを見つめた。

「…結婚のこと、前から考えてたの?」
「……うん。何時言おうか、分からなくて」
「それで、今お風呂場で?」
「……………うん」

みるみるとアレルヤの表情が暗くなってきて、完全に俯いてしまう。はそんなアレルヤを見つめて、先程から五月蝿くなっている心臓の音を誤魔化すようにわざと水音が出るようにしてアレルヤに抱きついた。表情を見られたくなくて思い切り抱きついたが、これではアレルヤの表情も見えないと思い、恥ずかしかったが体を離して呆気に取られているアレルヤの顔と近くで向かい合うようにした。

「っ、?」
「嬉しい。アレルヤ、私嬉しい!」
「本当!?、受けてくれるの?」
「うん!アレルヤ大好き!」
「…ありがとう、!」

先程の暗い表情など一気にどこかへ飛ばして、アレルヤは満面の笑みを作った。アレルヤの不器用でいざと言うときに最悪の展開を考えて尻込みしてしまうところもは大好きだ。そんなアレルヤが覚悟を決めてプロポーズをしてくれた。受けないはずが無い。これから大変なことも、迷うことも多いだろう。だけれど、大丈夫だ。根拠は無いがそう思う。二人なら、大丈夫。もう一度ゆっくりと抱き合い、はそう思った。
























溺れてしまう


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