小さい頃は羽が無くても空が飛べると思っていた。私はどちらかと言うと外で泥まみれになりながら遊ぶような子供ではなく、家の中で祖父の残した屋根裏部屋いっぱいの本を一日中読み漁るような子供だった。言ってしまえば少し夢見がちな女の子だった。少し高い位置にある窓から入る光はステンドグラスを通って赤や黄色、青など太陽の位置できらきらと変わって見せて、私を夢の中にいるような気分にさせてくれた。少し埃っぽいのが難点だったけれども、洋服が少し汚れることを除けば私はそこが大好きだった。 祖父の残した本には色々あったが、私は特に童話や御伽噺などのロマンチックなものを好んだ。大量の本の半分がそういった類のものだったから、祖父も大概ロマンチストだったのだろう。祖父と私に外見上での接点は見られなかったけど、私はしっかりと祖父の内面を受け継いだらしい。私は一日の大半をそこで過ごし、夜になるとふかふかのベッドの中で今日見た御伽噺の夢を見る。 家庭教師の私を探す足音と声から逃げ、いつものように屋根裏部屋に上った。叩けば何時までも埃を吐き続ける椅子に洗濯したてのシーツを被せ、本に向かって立てられている私の手で埃や汚れがふき取られた梯子を上る。私は本を読んだときにその世界の中へと引き込まれていくような感覚が大好きだった。読み終わったときにその世界から締め出されてしまうような気分になってしまうが、また新しい世界が私を待っていると思えばそんなに悲しいことではなかった。そのことを言うと姉にあなたっていつか本の中に引きずり込まれてしまうんじゃないかしら、と笑われてしまったが、私はそういう日がいつか来ることを望んでいた。本の中では素敵な出会いが溢れていると知っていたから。今日は何を読もうか迷っていたところ、今まで読んだことの無い、背表紙が剥がれてしまっている本が目に入った。私はそれに興味を持って手に取って見ると、乱暴にすれば今にもバラバラになってしまいそうな古い本だった。茶色く変色した表紙を目を凝らして見てみると、”Wonderful Wonder Land”とかろうじて読み取れた。素敵で不思議な国、素敵だわ。私はそれを胸に大事そうに抱きかかえ、滑って下に落ちないよう慎重に足を下ろした。埃と洗剤の匂いのする椅子に急いで座り、ドキドキしながら本を開く。「All in the golden afternoon...」最初の一文を声に出して呼んでみると、余計に気分は高揚した。素敵。この本は私をどんな世界に連れて行ってくれるのかしら! 主人公のアリスは私と同じくらいの年の女の子で、この本はその子が庭にある穴から落っこちて不思議な国で冒険する物語だった。読み進めると同時に私もアリスと一緒に冒険しているような感覚に陥って、興奮で震える手でページを捲り続けた。アリスがハートの女王様に理不尽な罪状を突きつけられ、アリスはどうやってこの危機を乗り切るのだろうと次のページを捲ると同時に私の手の中から本が取り上げられた。「!ようやく見つけたぞ!」無常にもパタンと閉じられた本が横の机に置かれたところで呆然としていた私はようやく今の現状を理解した。 「せ、先生!」 「こーの聞かん坊が!いつもいつもちょこまか逃げやがって!」 「ダメなの!もう少しで読み終わるところなの!」 「いつもどこに隠れているのかと思えばこんなところにいたのかっ」 「お願い先生!後でちゃんと降りていくからその本返して!」 「ダメだ。この本は、お前がが心を入れ替えてもう勉強から逃げなくなったら返してあげます」 その言葉は私には死刑宣告よりも重いものに感じた。中途半端に本の世界から引きずり出された私は、心の中にしこりが残ったのを感じたまま半ば引きずられるように屋根裏部屋から降ろされ、机に向かわされた。勉強は好きではないのだ。本と違ってドキドキもしないし王子様との甘い恋愛模様も描かれていない。勉強をするくらいなら一日中本を読んでいたかったし、実際今までそうしていたのだが、今日見つかってしまったから明日からは今までのようにいかないだろう。 次の日からは朝起きるとドアの前に家庭教師が立っていて、私が逃げる前に机へと向かわせた。何度か逃げ出して屋根裏部屋に行こうかとも考えたが、先生の手の中には人質がいるのだ。今まで呪いをかけられて蛙にされた王子様や、塔の上に閉じ込められたお姫様の話は読んだことがあったが、アリスのような冒険をする物語は読んだことが無かったので私にとっては絶対に取り返すべき人質だ。 「最近真面目に勉強してると思ったら、そう言うことなのね」 「だって、早く続きが読みたいんだもの」 「あなたみたいな子のことを本の虫って言うのよ」 「虫?私虫じゃないよ」 「たとえよ。それが大好きな人って意味」 「クリスは本が嫌いなの?あんなに面白いのに読んでるところ見たことない」 「私は現実の恋愛がしたいのよ。本の中じゃ味わえないスリルがあるからね」 私がわからない、という顔をしていたのだろうか、クリスはももう少し大きくなったら分かるわよ、と優しく笑った。クリスは私よりも七歳も年上のお姉さんだ。私がわからないこともいっぱい知っているのだろう。本では味わえないスリルってなんだろう。クリスがパパに内緒で会っている庭師のリヒティと関係あるのだろうか。 それから長い間、日にちを数えることも諦めてしまうほど長い時間私は勉強を一生懸命がんばって、ようやく先生に本を返してもらった。私は夜ベッドの上で小さな灯りを点けてそれを読んでいたが、寝る前にあたたかいミルクを飲んだ所為か目蓋が下に下りてきて本に頬をべったりつける形で眠ってしまった。 何度か風景が切り替わり、私は今私は夢の中にいることを知らずに冒険をする。地面も空もぐちゃぐちゃの中を、白兎を追いかけて走っていく。そんな光景を何度か体験したり遠くで見つめていると、行き成り風景が変わった。今度は地面にしっかり足が付いていて、私の意識は私の体の中にあるままだ。目の前には切り株に座ってこちらを見ている緑の髪の毛の少年がいた。 「こんにちは、」 「こんにちは。あなたはだれ?」 「そんなこと、知ってどうするんだい」 「だって、あなたは私の名前を知っているのに私はあなたの名前を知らないわ」 「それはそうだね。じゃあこうしよう、また君がここに来て僕に会ってくれたら教えてあげる」 口元を笑みにしたままでその人はそう言った。私は不思議とドキドキしていて、こんな気分は新しい本を読んだときにもならなかった。もっとお話をしてみたい。 「わかった、約束だよっ」 「約束は守るよ」 「ずっとあなたは座ってるの?」 「することが無いからね。君が僕と遊んでくれるのかい?」 「い、いいよ。なにして遊ぶ?」 「君が決めてよ。僕はあまり遊びを知らないんだ」 「あやとり、あやとりしよう」 「あやとりってなんだい?」 「長い紐をわっかにして、二人して取り合うの」 「へぇ、それで紐はどこにあるのかな」 「あ」 「馬鹿だね、は」 「馬鹿じゃないもん、勉強してるもん」 「馬鹿だから勉強しなくちゃいけないんだろう?本ばかり読んでるからだよ」 「なんで知ってるの?すごい」 「僕はのことならなんでも知ってるよ」 朝、目が覚めると私の頬にはくっきりと紙の跡が付いていて、鏡の前でそれを消そうとがんばったけれど無駄だと分かり、先生に笑われるかな、と思ったけど先生に会いに行くころのはもうその跡は消えていた。 「どうした?今日はやけに嬉しそうだな」 「先生、私夢見たの。素敵な夢!」 「ほー、どんな夢だ?」 「…忘れちゃった」 家庭教師のニール先生は不思議な顔をしていたが、私だって不思議だった。夢の内容は覚えているときと覚えていないときがあって、でも私はだいたいいつも覚えていたのに今日だけはまったくと言っていいほど覚えていなかった。でも、楽しかったことは覚えている。朝目が覚めたとき、早く続きが見てみたいと思ったから。途中で取り上げられた本にも同じ感情を抱いていたから、きっと凄く凄く素敵な夢だったに違いない。 今日は今まで頑張ったから、と先生に今日一日は自由にしてもいいぞというご褒美を貰った。以前の私だったなら一目散に屋根裏部屋に走っていっただろうが、今日は違う。私の心が早く早くと急かしてくるから、誰にも邪魔をされないようにと自分の部屋に鍵を掛けてベッドに横になる。こんなに早く寝るのは初めてなのであまり眠くなかったけど、ぎゅうっと目を瞑っていると次第に意識がぼんやりしてきて、いつの間にか私は夢の世界へと足を踏み入れていた。 「来てくれたんだね、」 「来たよ、来た。だって約束したもの。名前教えてもらいに来たの!」 「こんなに早い時間に来るとは思って無かったよ。まだ昼だろう?」 「会いたかったんだもの!私、あなたともっとお話したいの」 「嬉しいな。僕、いつも一人だったんだ」 「ね、名前教えて」 「君は忘れるよ」 「忘れないよ」 「夢から覚めたら忘れてしまう」 「夢を見たら思い出すもの」 「そうかい?」 「約束したじゃない」 彼の声は鈴みたいだ。低いテノールなのに、すっと私の中に入ってくる。だからこんなにドキドキするのだろうか。彼が思い出したように「そうか、約束だったね」と呟いた。そう、約束。したでしょ? 「リボンズだよ」 「リボンズ?」 「リボンズ」 「素敵な名前!リボンズ、リボンズ!」 「そんなに何度も言わなくても聞こえてるよ」 「私が言いたいだけ!リボンズ!」 「なに?」 「今日はね、鬼ごっこしよう!」 「鬼ごっこ?」 「うん、鬼が一人いて、他の人を捕まえるの。それで捕まった人が鬼になって、他の人を追いかける。そういうゲーム」 「二人でも出来るのかい?」 「…わかんない。私、いつも見てるだけだから。でも、きっと出来るよ」 「どうして見てるだけなんだい?入れば良いのに」 「だって、お家の中で勉強しなくちゃいけないもの。パパがあんなに汗まみれになることはしちゃだめだって」 「ふうん。でもここなら汗、たぶんかかないよ」 「そうなの?」 「走ったこと無いから分からないけど」 「変なの」 「ふふ。ねぇ、他の遊びはないのかい」 「え?そうだな、後は、かくれんぼとか、チェスとかしりとりとか」 「しりとり?」 「しゃべった単語の一番最後の文字でお互いに言葉を作っていくの」 「それは楽しそうだ。でも、今は無理だね」 「どうして?」 「もうすぐが起きるからだよ」 コンコン、とドアがノックされている音で私は目が覚めた。ぼんやりとした頭でベッドから降りて、鍵を開ける。そこにはクリスが立っていて、私の手を取ってお茶会しましょう、と笑った。クリスの作った特性のイチゴタルトと、ミルクいっぱいの紅茶。私は砂糖の入った紅茶が苦手だと知っているからクリスは私に砂糖を勧めてくることなく自分のカップに砂糖を二個。「おいしい?」おいしいよ。 「ねぇ、。は私がリヒティとこっそり会ってること知ってるでしょ?」 「うん」 「私ね、リヒティが好きなのよ」 「え」 私は驚いてカップを落としそうになったが、持ち上げた瞬間だったのでカツン、とお皿に当たって音が鳴っただけだった。クリスは私の様子を見て、やっぱりは現実の恋を学んだほうがいいわよ、と綺麗な顔で笑った。それは私が今まで見たことの無かった、女の顔をしたクリスだった。 「恋って何?」 私は目の前で紅茶を飲んでいるリボンズに向かって、もう何度目になるか分からない逢瀬の時に言った。今日彼が座っているのは切り株なんかじゃなくてまっしろなチェア。紅茶とお菓子が置いてあるテーブルもそんなに強くない日差しを避けるためのパラソルもまっしろ。これは私の家に置いてあるものと一緒だ。 「いきなりだね。はたくさん本を読んだんだから分かるんじゃないのかな」 「でも、本の恋愛と現実の恋愛は違うってクリスが言ってたの」 「クリスティナ。君のお姉さんだね。恋人は庭師のリヒテンダール」 「うん、そう。私、気付かなかったの」 「はまだ小さいからね。そういった感情はまだ備わってないんだよ」 「大人になったら分かるの?今のままじゃ分からないの?」 「そうだね。でも、いいじゃないか。いつか分かるものなら今は知らなくても」 「そうなのかな」 「そうだよ。大人になったら失うものの方が多いんだから」 リボンズはクリスと同じくらいの年齢に見える。つまり18歳かそこらへんだ。全てを悟りきっているような言動に驚いた。私が勝手にリボンズのことを若いと思っているだけで、もしかしたらずっと大人なのかもしれない。ミルクも砂糖も入っていない紅茶を一口飲んだリボンズを見つめる。 「リボンズっていくつなの?」 「よりはずっと年上だよ」 「それ、答えになってないよ」 「答えたよ」 「リボンズは、いじわるだよ。先生みたい」 「それはが宿題をサボるからだろう」 「うっ!」 「明日の朝早く起きてやろうとか思うからダメなんだよ。どうせ起きれないんだから」 「ぐっ!」 「素直に言えばまだいいのにこっそりと宿題を捨てるからもっと怒られるんだ」 「ふぐぁ!」 「何か反論はあるかな?」 「……」 「素直だね」 「うう…」 撃沈した私はテーブルの上に頭を突っ伏して小さく敗北に打ち震えていた。リボンズは私のことを何でも知っているから、反論できない。リボンズがティーカップを置く音が聞こえて顔を上げると、紅茶もお菓子も綺麗に消えていた。それを不思議に思うことは無い。だってここは何でも起こりえる不思議な場所なんだから。私が何時だって連れて行って欲しいと夢見ていた場所。 「は、何時まで夢見る女の子でいられるのかな」 「え?」 「現実のことを考え出したということは、もう夢見る女の子じゃいられないと思ったからじゃないのかい」 「どうして、そんなことを言うの?私は」 「僕はが好きだよ。いつだって会いに来て欲しい」 「いつも来てるじゃない。私だって、リボンズが好きで会いに来てるのに」 「もう屋根裏部屋には行かないの?」 リボンズの言葉は脈絡が無くて私はいつも一瞬何を言われたか分からなくなる。屋根裏部屋?そういえば、最近は行っていない。勉強で忙しかったりして、あの光と魅力が満ちてる場所に行っていない。前のように御伽噺に強い魅力を感じなくなった?本当は王子様なんていないことを知っている?本当に羽が無くても空が飛べると思っているの? 「僕は一人が嫌いなんだ。、君は何時まで一緒にいてくれる?」 「…わたし、」 「…君はもうレディなのかな。じゃあ紳士的に送らなくちゃダメだね」 気付いたらまっしろなチェアもテーブルもパラソルも消えていて、私はいつの間にか立っていた。リボンズは私の前で跪いている。私の手を優しく取って口付けた。私は、リボンズにはこの行為をして欲しくなかった。本の中では王子様がお姫様に恭しく口付けていて、私はいつだってそれに憧れていたはずなのに。 「目が覚めたらいつものように全て忘れてるよ。またいつか会えるといいな。そのときは僕の名前、思い出してね」 小さい頃は羽が無くても空が飛べると思っていた。私はどちらかと言うと外で泥まみれになりながら遊ぶような子供ではなく、家の中で祖父の残した屋根裏部屋いっぱいの本を一日中読み漁るような子供だった。言ってしまえば少し夢見がちな女の子だった。少し高い位置にある窓から入る光はステンドグラスを通って赤や黄色、青など太陽の位置できらきらと変わって見せて、私を夢の中にいるような気分にさせてくれた。少し埃っぽいのが難点だったけれども、洋服が少し汚れることを除けば私はそこが大好きだった。 祖父と小さな私が愛したその本たちは、父によってどこか私の知らない場所へと運ばれていった。もう誰にも読まれなくなった本たちは、自分を必要としている人たちへと渡っていくのだと父は言った。私はあれほど時間を共にした屋根裏部屋にいつの間にか近づかなくなり、御伽噺の中の王子様ではなく現実の家庭教師に恋をした。姉のクリスは父を説得して自分の愛する男の人と結婚して、今では三人の子供のお母さんだ。 「あんなに本が大好きだった子なのに、いつの間にか読まなくなってたのよねぇ」 「少しは読んでたよ。ただ、内容がちょっと変わっただけで」 「御伽噺から数字ばかりが立ち並ぶ機械工学の本に?どこがちょっとよ」 「なんでなんだろうね。あれほど好きだったのに…あ、ごめんね私おっぱい出ないの」 「え?お乳欲しがってる?貸して」 私は抱いていたまだ生まれてから一ヶ月も経っていない赤ん坊を母親へと渡す。最初は中々子供が出来ないと悩んでいたクリスとリヒティだが、一人目が出来たと分かった年から三年連続で子供が出来た。小さな子がたくさんいるのでたまに私は手伝いにクリスの元へと訪れている。クリスは私のお姉さんであると同時に人生の先輩なので色々な相談をしている。例えば最近ニールの帰りが遅くてもしかすると浮気をしているのではないか、など。クリスは新婚さんなのにそんなわけないでしょ、彼にそんな移り気無いわよと笑い飛ばしたが、ニールはもてる。もう私たちに教える必要が無くなり、私の家のお抱えの家庭教師で無くなったニールは何件もの家の家庭教師をしている。その中には、ぴちぴちの女の子もいるだろう。私と結婚をすると決めた時点でも他の人にロリコン扱いをされていたのだ。私という盾を手に入れて、裏で小さな女の子に手を出していたらどうしよう。 「はもうちょっと彼のこと信じてあげなさい」 信じてるけど、やっぱり少し怖いんだよ。だって。 「俺から誘っといてなんだが、家に大事な奥さんと子供いるのに大丈夫か」 「それはこっちの台詞でもありますって。そっちは新婚さんじゃないっすか」 人のよさそうな笑顔を浮かべてリヒティは俺に言った。こいつとは何年も前からの知り合いだが、こうして義兄弟になったと思うとなんとも不思議な気分になる。こいつのほうが年下なのに。 「で、相談ってなんですか?」 「ああ。もうすぐでクリスマスだろ、いつも夜にパーティ開いてるけど、今回は昼にしないか?」 「え?なんでっすか?」 「今年のイブでは20になる。今年のクリスマスは特別にしたいんだ」 「特別?」 「ああ」 「…」 「…」 「えっ、まさか」 「…」 「ま、まだ手ェ出してなかったんっすか!?もう結婚して半年も経ってるのに!!」 「おまっ!声がでかい!!!」 「な、なにしてんすか!?そんだけ手早そうな見た目しといて!」 「見た目ってなんだよ!散々ロリコンとか幼な妻とか言われてんだぞ!気にしてるわけじゃねーが簡単に手なんて出せるか!」 「…はぁ、なるほど。で、クリスマスに決めるわけっすか」 「もっと言い方ってもんがあるだろ…」 「だから色々動いてるんっすねー」 「…どこでその情報を」 「庭師って意外と顔広いんですよ。知りませんでした?」 「以後、覚えておくぜ…」 「でも年の差気にしてないならもっと早くに手、出しておけばよかったんじゃないっすか?」 「だってあいつ可愛いんだぜ。手ェだしたらもう止まんねぇよ」 がっついてるなんて思われたくないじゃねぇか。 今年のクリスマスは例年通り、クリスの家で行われたが、時間だけは異なり今回は昼に行われた。夜はやっぱり新婚さん二人っきりのほうがいいでしょ?とにこにことクリスに言われ、不思議に思うと同時に少し嬉しかったので、その提案を受け入れた。クリスもリヒティと二人っきりでクリスマスを過ごしたいのかもしれない。そうして結婚して初めてのクリスマスは、ニールと二人で夜を過ごした。今日はニールに対する疑惑は考えずに楽しく過ごそうと思ったのだ。料理も食べ終わり、久しぶりにゆっくりと二人で話しをしているときにニールは改まった表情で私を見た。「に渡したいものがあるんだ」 ニールが緊張したような動作で私に箱を渡す。大きな箱で、結構重い。なんだろうと思いニールを見つめると、開けてみてくれと視線で促される。丁寧にリボンと紙を外していくと、中には昔私が愛した数冊の本が入っていた。懐かしい感触に私は言葉を失い、そしてニールを見た。ニール、これ、どうして。それは言葉にならず、でもニールは正しく私の意思を汲み取ったらしく説明してくれた。 「お前さん、昔好きだったろそれ。が本離れしたのって俺が勉強しろってうるさかったからで、のおじいさんの本が違う家に売られていくときなんかさびしそうだったから、自己満足とは分かっていたが買い取った」 本が売られた家は一軒や二軒ではない。この数冊の本は私が特に大好きだったもので、それを私がまだニールを先生と呼んでいたときに話していたのを覚えていてくれたのだろうか。一番下にあった本は、背表紙が剥げていて文字が読めなかったが表紙の文字はかろうじて読めた。”Wonderful Wonder Land”先生に取り上げられて、勉強を一生懸命して返してもらった本。それなのにどうしてか最後まで読まないで終わって、いつの間にか無くなっていた。ベッドの下に落ちているのを見つけた誰かが屋根裏部屋に戻しておいてくれたのだろうか。私を一番ドキドキさせてくれた本。私の夢の象徴。 「ニール…」 「あとな、…俺、教師になることになった」 「教師?」 「ああ、収入が不安定な家庭教師じゃなく、しっかりとした職業に就いた方がいいだろうと思って」 「どう、して」 「…これから、家族が増える予定だしな」 「…」 「……なんか言ってくれよ」 「に、ニールが私に手を出さないの、私が成長したからだと思っ…」 「お、おまえなぁ!俺が今までどんだけ誘惑に耐えてきたと思ってるんだ!?」 「うわああんニール!何で言ってくれなかったのよぉ!」 「驚かせたかったのと、俺の理性の問題かな」 「私がどれだけ待ってたと…!」 「…待っててくれたのか?」 「待ったよ、馬鹿ぁ!」 「じゃあ、…今抱きしめてもいいか?」 「うん…!」 夢はもう見ないと思っていた。私はもう夢見る女の子じゃなくて、大人のレディにならなくちゃいけないとどこかで思っていたから。でも、違った。夢は何歳になっても見てもいい。それを教えてくれたのは私の大好きな人。 「、久しぶりだね」 「待たせちゃったかな」 「9年かな。そんなものだよ」 「9年は、長いよ」 「僕にとっては短いさ。、遊びに来てくれたんだろう」 「うん」 「あやとりも鬼ごっこもかくれんぼもチェスもしりとりも、一人じゃつまらなかった」 「うん」 「ずっと見てたよ」 「だと思った」 「もう会いに来てくれないかと思った。、今幸せかい」 「すごく」 「だろうね。が起きたら僕のことを忘れてしまうのが口惜しいな」 「ここにきたら思い出すよ」 「それでいいよ。、君その姿でいいのかい?ここじゃあ自分の年齢は自分の思ったとおりになるよ」 「なにそれすごく素敵。でも、いいの。今の年齢が好きだから」 「そう。僕は11歳のも好きだったよ」 「ねぇ、あなた言ったわよね。は何時まで夢見る女の子でいられるのかなって」 「言ったね。よく覚えてたね、」 「あのときは答えられなかったけど、今なら答えられる。私はいつだって夢は見れる。思い出させてくれる人がいるから」 「うん。僕は一人が嫌いなんだって言ったのは覚えてるかい?」 「覚えてるわ。だから、私が一緒にいてあげる。一人は寂しいんでしょ?」 「寂しいよ。だから会いにきてくれて嬉しいんだ」 「私も会えて嬉しい」 「ねぇ、名前覚えてる?」 「覚えてるよ。最初は中々教えてもらえなかったってのも」 「呼んでよ、僕の名前」 「リボンズ」 「もっと」 「リボンズ、リボンズ」 「」 「リボンズ…」 「、ここは君の夢だ」 「分かってるよ。これは私の夢。目が覚めれば忘れてしまうの」 「だから今だけは、僕の側にいて」 「うん。一緒に遊びましょうか」 「僕は夢の中にいつもいる。君が夢を見続ける限り、ずっとずっと」 朝の日差しで目を覚ますと、隣にはニールの横顔があった。しばらく見惚れるようにそれを見ていると、気配を感じたのかニールがこちらに向きなおすようにして体を動かし、私と目を合わせた。すると驚いたように瞬きをして、私の目を優しくこする。 「なんで泣いてるんだ?まだ痛いのか」 「え…私泣いてる?」 「…朝は涙腺が緩んでるのかもな」 「うん…。ねぇニール、私素敵な夢を見たの」 「ん?どんな夢だ?」 「…忘れちゃったんだけどね、とっても懐かしくて、とっても素敵な夢」 昔、似たような会話を先生だったニールと交わしたことがある。ニールは忘れているらしく、そうか、と私を撫でてからもう一度見れるといいな、と私を抱きしめて再び寝息を立て始めた。私はきっとまたこの夢が見れると確信している。なぜかは分からない。小さいときは羽が無くても空を飛べると思っていた。今は、そんなことは出来るはずがないと思っている。だが、人間は夢を見続けることが出来る。夢の中では羽が無くても空を飛べる。私はそれを知ったから、教えてくれた人がいるから、だから私は夢を見続ける。 十秒間だけネバーランド |