凄腕の殺し屋がいるとの噂だ。今まで受けた依頼はすべて成功、その仕事ぶりに満足して今まで支払いを出し渋った依頼人は一人としていない。
 しかし今回初めて、期日までに料金を振り込まなかった依頼主が出た。人一人の値段としては安いのだろうが、その金で生活をしている身、これは仕事なのだ。噂のスナイパー、本名ニール・ディランディは誠意を持って依頼主にコンタクトを取ることに決めた。

「どういうことだ?しっかりしてくれないと、今度はあんたの頭が風通しよくなっちまうことになる」

 その問いに返ってきたのは、殺したはずのターゲットの写真の入った封筒だった。殺したターゲットの写真を何で今更?その答えは写真の右端にある日付が教えてくれた。二日前。ターゲットの死を確認したのは一週間前だった。



 殺したはずだった。しかし、ターゲットは今でも元気にスコープの中で動き回っている。まさか間違えて別人を殺してしまった?そんな馬鹿なと思いながらも今自分で見ている人物が真実だ。今度は間違いない、そう思って引き金を引く。bomb。心臓から勢いよく血が噴出した。助かる見込みは、ゼロだ。



 世の中には超能力なんてものが使える、化物みたいな連中がいるらしい。もしかしたらあの女はそんな連中の一員なのかもしれない。再三送られてきた封筒には、何食わぬ顔でサンドウィッチを頬張る魔女の姿が映っていた。ちなみに日付は今日である。

「ノイローゼになりそうだ」

 今までに殺した人間の数は覚えてはいないけれど、同じ人間を殺した数は覚えている。通算四回だ。五人目の同じ女が写真に写っていることになる。最初は頭、二回目は心臓、三回目は初心に戻って頭、四回目は念には念を入れて赤くない場所が無いくらいに銃弾を撃ち込んだ。ライフルの弾だって安くない。むしろ特定されないように改造もしているから普通のものよりも値段が張る。文字通り出血大サービスで使ったのに、どうしてお前は生きている?写真を睨み付けても女はうんともすんとも答えてくれなかった。
 今度は銃はやめよう。弾が勿体無いなんて言っているわけではない。銃では死なないと思ったから、接近して殺す。これは最早ニールの殺し屋としてのプライドだ。



 まったく、こんな美人に何の恨みがあるんだか。依頼主はよっぽど、それこそ何度でも殺したいほどにこの女になにかされたのか。
 ニールはベッドの上で女の心臓が止まっているのを確認して、更に脳を再生不可能というまで破壊し、最早”彼女”と言っていいのか分からないくらい破壊され尽くした体を見て、ようやく吐き気がこみ上げてきた。
 死ぬまで殺し続ける、まさにこのことを言うのだろう。今まで人間の体をここまで蹂躙したのは初めてだ。作業の間は使命感や強迫観念が勝っていたのだろう、破壊を終えて初めて、ニールは自分がここまで出来る人間だったのかと”彼女”の有様を見て呆然としてしまった。だが、流石にここまですればもう殺さなくても済むだろう。

「シャ、ワー、…浴びて、…」

 まずは血を流そう。こんな姿で外に出たらいくら今が夜とはいえ人に見つかったら一発で叫ばれる。血を流してバスルームから出ると、女がベッドの上で裸で寝転んでいた。

「痛かった。こんなに乱暴にされたのって、初めて」

 ジーザス、神様、あんた職務放棄してるだろ。



「あんたはどうやったら死ぬんだ。これはもう俺の意地みたいなもんだ。あんたが死ななきゃ俺はあんたをずっと殺し続けなきゃいけない」
「それが分かってないから、成功率100%のあなたのところに依頼が来たんじゃないの?」

 一通りの殺害方法を試して、女はすべての死から復活した。これで最後と思い、いろいろと女に自分のことを話してしまった。なので女はニールのことをいくらか知っている。人に話せないタイプの笑い話だ。

「あんたを殺さなきゃ俺の履歴に傷がつくだろう!成功率100%が俺の売りだったんだ」
「知らないわよそんなこと」

 最もな返答だった。

 ニールはベッドを占領している女を見つめた。こうしてみると本当に普通の女にしか見えない。何十回も死んでいるなんて到底思えない。
 何故このような状況になってしまったのだろう。ニールの仕事はこの女を殺すことだ。なので死ぬまでは殺さなくてはいけないので、仕方なくあの血なまぐさくなったホテルから女を連れ出した。フロントにはとんでもない量の鼻血が出てベッドを汚してしまった、と伝えておいたが、次の日には警察の車が停まっていた。偽名を使っておいたから大丈夫だろう。別に誰かが死んだわけでもない、ただ想像も絶する鼻血が出てしまっただけだ。
 家につれて帰ってからは思いつく限りの殺害を繰り返したが、女は必ず生き返る。不死なのだ。頭を割ればビデオの早送りをしているみたいに修復し、首を絞めれば三分後に息を吹き返す、水に沈めても毒をもってもバラバラにしても、もう何をすれば人間は死ぬのかが分からなくなったくらいだ。

 だからって別にベッドを譲ることはなかったんじゃないか?ニールはソファで寝始めて一週間、体の節々が痛くなってきてようやくそのことに思い至った。女性には優しくをモットーにしてはいるものの、相手はターゲット、殺す相手なのだ。なんでわざわざ寝床を用意しているんだ?
 よし、今夜からは寝床の交代だ。タッパのある俺にはソファは少し狭かったことだしな。また今夜から快適な睡眠を貪るのだと意気込んで女に手を伸ばそうとしたとき、窓の外から女に向かって赤い光が動いているのが見えた。赤外線スコープだ。そう思った瞬間にニールは女を掴んで引き寄せ、次の瞬間ベッドに小さな穴が開いた。
 なにを、しているんだ俺は?体が勝手に動いた。まるで助けるみたいに。
 違う、この女は俺が殺すと決めたんだ。他の奴に殺されてたまるか。殺してる途中なのに、横取りされるなんて考えられない。そう、これは同業者に対する競争心だ。死なない人間を殺したとなると、一気に知名度が上がるしな。目標に近づく。相手がそれを信じた場合にだけれども。
 ニールが邪魔をしたことにより戸惑ったのか、赤外線の光はうろたえるように揺れて、消えた。引っ越すか。その考えに被るように窓ガラスを割って何かが飛び込んできた。手榴弾、――っ殺す気か!
 威力の小さいものだったらしく、テーブルを倒しただけの簡易防壁だけで体を守ることが出来た。もう攻撃をしてこないのを見ると、今のはニールに対する警告、と取るべきだろう。流石にこの騒ぎで起きた女と目が合った。

「過激なリフォームね」
「引っ越すつもりだったからちょっとくらい失敗しても構わないさ」

 金は銀行だし、カードはいつだって身につけてる。銃は安全な隠し場所に置いてあって無事だし、一番重要なのは女が無傷だったことだ。



「いつから…その質問に私は明確に答えることはできないわ。いつから生きているかなんて、あなたは今まで呼吸した回数を覚えてるの?」
「それは、数えきれない年月だった、…ってことなのか?てことは、百年や二百年じゃ足りないってことだよな」
「どうだったかしら…、私は結婚もしたことがあるし、友達だってたくさんいたのよ。みんな、いなくなっちゃったけど」
「さみしいのか?」
「さあ、そんな感情、私にあるのかしらね。時間が全部、流していったわ」

 肝心な部分ははぐらかされたまま、ニールは女を抱きよせた。温かい。生きている。時間が全部を流していく、正にこの状況を表している。長い時間一緒にいたことで、情が移ってしまった。こんなはずではなかったのに、きっと何度も他の殺し屋から守っていた所為で余計に移りやすくなったのだろう。正確に言うと、全て守れたわけではない。何回かは女は死んでしまった。ただ、生き返っただけで。
 あれだけ望んだ女の死が怖くなった。女が目を覚ますことがニールの悩みだったのに、今では目を覚まさないことが怖くなる。死を恐れるなんて、殺し屋にとっては一番愚かなことだ。

「たぶん私は死が怖かった。死にたくなかった。当然よね、死は人間にとって一番の恐怖であるはずなのだから。でも、今となってはどうして私はこんな体だったのだろうって思うの。死なないことが怖い。死ねないことが怖い。死は恐怖ではなかったの、苦痛の多い人生の一種の安らぎだったの。永遠に続く意識なんて、苦痛以外の何物でもないわ」
「……」
「と、思っていたところにあなたが現われて、何度も私を殺してくれたの。死ねなかったけどね。でも、いろんな方法で私を殺そうとして、私、死ぬ時はあなたの手にかかろうと思った。ここまで私を殺そうとしてくれた人、あなたが初めて」

 それは、喜ぶべきことなのだろうか。出会ったころの自分ならば、苦笑いをしてまた彼女を殺す手段を考えていただろうが、今の自分がなによりも怖いのは女の死だ。
 未だに女を狙う奴は後を絶たない。だから何度も居住区を変えているし、一人だって生きて帰しはしていない。しかしその努力もあってあの女の暗殺を請け負うと生きて帰れない、という噂が裏社会で流れ出した。流したのはニールだったが、これが効果てきめんで、今では女を狙う奴はほぼいなくなった。

「私、あなたを愛してるみたいなの。これが吊り橋効果?殺されるときめきを恋だと勘違いしたみたい」
「そこは素直に俺の魅力に負けたって言ってくれよ」
「ニール、あなたすごく素敵な人よ。あなたのためなら死んでもいいわ」
「そいつは残念だったな、俺が守るからそれは叶わない」



 あなたのこと愛してるの、だからあなたの赤ちゃんが欲しいわ。だって、本当に愛してるのよ。



 女の容姿は数年経った今でも変わり映えがない。もちろん髪は伸びるので髪を切ったり髪型を変えたりすると変化はあるし、油断していれば体重の増減もある。だが、やはり変わっていないのだ。基本的な部分が、何一つ。
 人という集団は異質なものを排除しようとする。異質なもの、それは超能力者と言われる者たちのことを指しており、彼らは人よりも優れた能力を持ちながらも疎外をされてきた。もちろんこの女も例外ではない。しかも能力が不死身ときたもんだ。他の能力であれば上手く隠せば社会に溶け込むことができるが、不死身ではそれも難しい。数年ならば良い。しかし何十年と変わらぬ容姿で土地に住み続ける者を、人々は人間だと認めるだろうか。いや、認めはしない。だから排除するか、根本的に抹消するかをする。抹消は不可能だった。ニールが自信を持って断言しよう。
 ならば排除しかない。最長でも五年で、違う土地に移っていくことが必要なのだと、ニールは女から教わった。これからの移動の目安にするためだ。
 ニールは自分の一生を女と過ごすことを決めた。本当は、身を焦がすほどの憎しみと目標を持っていた。だが女と過ごすことで、その思いが徐々に薄れていっているのに気付いた。最初は恐ろしかった。今までの数年、そのためだけに生きていたというのに、この女はニールからその意味を奪おうとしたのだ。殺すことが叶わないのなら、と女から離れることも考えた。今までのニールが、俺が、俺を構成していたものが、消えてしまう。だが、自分が消えてしまうこと以上に、女が消えることが恐ろしいことに気づいてしまった。ああ、優先順位が変わってしまった。ニールは魔女を愛してしまった。女にとっては微々たる年月かもしれないが、自分といる数十年、今まで感じたことのないくらいの幸せを女に与える。そして、自分が死ぬまでに女を殺す方法を見つけ出す。それがニールが女に誓った約束だ。死ぬ時は、一緒だ。



(魔女と呼ばれた女)
 私、思い出したことがあるの。魔女が死ぬには、子供を産めばいいのよ。それに私、もう長くないわ。いえ、不死身なのには変わりはないけれど、もうこの体、ガタがきてるみたい。体を失って、意識だけで一生を彷徨うことになるの。きっと、あなたが死ぬまでもたないし、私そんなの耐えられないわ。え?子供、生むわよ。だって、こんなに早く出たい早く出たいってお腹を蹴ってきてるんだもの。こんなときに言って、ごめんなさい。でも、そうじゃないとあなた、最後まで私を生きさせようとするでしょう?駄目よ、私あなたの子供を産みたかったの。長い長い時を生きてきた私にとって、誰かのために死ぬのが私の最上の愛情表現なのよ。約束破ってごめんなさい、愛してるわ、ニール。



「あの世でまた一緒に暮らしましょう、か。そんなこと言われたら、断れないじゃないか」

 ニールが死ぬまでの年月なんて、彼女が生きた年月に比べればかわいらしいものなのだそうだ。精々生きて、苦しんで、大人になってから会いに来て。そう言われて、子供まで残されては追いかけることもできやしない。生きた年月が違うと愛の形まで違うのか。納得はいかなかった。いや、したくなかった。でも、あんな脅迫みたいに後戻りのできない状況になって言われてはどうしようもないじゃないか。それでも彼女の長い生の最後、彼女が幸せでいてくれたのならば、少しだけ許そう。一緒に死ぬことは出来ないと、ニールが女を殺す方法を見つけることが出来ないと決め付けていたことはちょっと許せない。この怒りやら悲しみは、次に会った時にぶつけてやるんだ。
 やることはたくさんある。彼女の存在を知っていたものは消えてもらわなければ、娘の、の安全は確保できないのだ。同じ名前をつけたこと、怒るだろうか。けどきっと、笑って許してくれる。それが終わったら、他にも、ああそうだな、超能力者、彼らのことを調べてみるのも悪くはないかな。



ニルバーナの成れの果て
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