刹那・F・セイエイの部屋には中身の無い水槽が置いてある。しかし水は張ってある。底砂も敷いてある。水草もエアポンプもフィルターも、水の中で暮らす生き物を飼うには必要な最低限の設備が整っている。しかし肝心の生き物がいない。そんな水槽だ。 彼の部屋へ初めて入ったとき、誰もが殺風景な部屋の中でひときわ異質なその水槽を見咎めるが、それを話題に出すことはない。個人に干渉し過ぎない。これが暗黙のルールであったから。 「刹那、あの水槽は何であるんだ?何か飼ってるのか?」 なのに簡単に人の領域へと入ってくるこの男が苦手であったし、理解ができなかった。 「おっかねーな。睨むなって」 その言葉には反応せずに、刹那は視界の端に映る水槽を見た。見えないほどの小さな生き物がいるというわけではない。だが、それを刹那が他の誰かに教えることは決してないだろう。 一瞬過去へと引き戻されそうだった意識を現実へと戻し、刹那はわざわざ各個人に割り当てられている部屋へと赴いてきた変わり者の男へと隠さない敵意を向けた。 「何故ここへ来た。端末にデータを送ればそれで足りるはずだ」 「お前さんの顔、見ときたくてな。今回は俺がお前のバックアップに回る。任務だ、刹那」 パシャリと、水の跳ねる音がした。 ◇ 「や、やめてくれ!俺たちは同じ能力者だろうっ?味わってきた苦悩も同じはずだ、お前くらいの能力者なら今よりもっといい待遇でウチの組織が必要と…ひっ」 男が必死に右へ左へと眼球を動かして命乞いをしていると、突然その男の近くへと何かが降って来た。 「あ、ああぅっ」 「残念だったな。俺とお前は違う」 最後のあがきだろうか、拳銃を取り出し刹那へ向けた男はそのままのゆっくりと先ほど降って来た彼の仲間の横へと倒れこんだ。じわりと血が広がって行く。見ると男の後ろに今回のパートナーが立っていた。 「俺の方はもう終わった。刹那、お前はどうだ」 「問題ない」 ロックオンはそうか、とうなずくと退却を刹那へ指示した。自分が撃った相手の横で事切れてる男、その周りは水びたしだ。水の跡をたどると天井へと繋がっている。おそらくは自分が撃った男は刹那を引き付ける囮で、上から刹那を狙っていたのだろう。天井から水が落ちてきているのを見ると、どうやら水道管を一部破壊したらしい。ロックオンの知る刹那の能力は「水を自在に操る力」だ。超能力者ってのは便利なもんだな、そう思いながらもロックオンは刹那の後に続いた。 ◇ 「確かに。データの奪取と敵戦力の殲滅を確認したわ」 「まったく、人使いが荒いよな。俺最近仕事しっぱなしだっての」 「ごめんなさいね。今動ける実務隊の人数は限られてるし、何よりあなたは優秀だもの」 「能力者に囲まれてその言葉をもらえるだけありがたいね」 「ふふ、刹那もそう思ってるわよ。ね、刹那…あら」 「奴さんなら今しがた出てったよ。まったく、目離すとすぐ姿くらますからまいるよ」 目の前の戦術予報士、スメラギ・李・ノリエガは苦笑いをこぼし、ロックオンへ退室の許可を出した。その後姿を見てから、手元の資料へと目を移す。今回の任務で奪取したデータを見てみると、先に入手していた情報通りテロの計画の書かれたものであった。予想通り違う組織同士の連携の作戦であるから、まだいくつかすることがある。今回つぶしたのは一つの組織の中の一部隊にすぎないだろうから、いくつかの組織に牽制をしなくてはいけないし、テロの標的となった国へとこの情報をリークして警戒を高めてもらうと共に自分たちで身を守ってもらう必要がある。簡単な仕事ではないが、それが出来るだけの力を自分たちが身を置く組織が持っていることは確かである。 コードネーム、刹那・F・セイエイ、超能力者「水を自在に操る力」。コードネーム、ロックオン・ストラトス、非能力者、射撃の天才。この二人の他にも実務隊の人間は数人いる。”実務隊”と呼ばれる戦闘員たちはそのほとんどが攻撃型の超能力者だが、まれに身体能力思考力ともに優れた人間を入れることがある。それがロックオン。生粋の能力者が刹那。かくいうスメラギも能力者ではあるが、後援型の能力であるため”特務隊”へ身を置いている。 「さてと、まずは戦術を立てて作戦をみんなに伝えて、それが終わったら今夜はビールね」 ◇ 『なんの用だ小僧、さっさと帰れ。見咎められても知らんぞ』 砂漠の夜は日中と違い酷く冷える。戦場で見つけた大人物の上着だけでは心もとなかったが、今の少年には心強い見方がいた。 『ふん…炎の残留思念か。これはまた大層なものを連れておる』 当時の刹那の使えた能力は「火を操る力」。その能力を実際に戦場でも使っていたので周りの人間はそう思っていたし、自分自身でも今まで使ってきた力はその一つだけだったのでそう思っていた。『神の代弁者』であるアリー・アル・サーシェスの指揮する集会へと赴いたとき、彼の近くに半透明の女の人が浮いているのを見て、彼らは本当に神の代弁者なのだ、と思ったことがある。あの女の人は神様なんだ。僕たちのことを見守ってくれているんだ。実際に偶然戦場で彼女も戦っているのを見たことからも、そう確信していた。だから”彼女”と目が合ったとき、うれしかったし、こわかった。でもうれしいの感情のほうが大きかった、彼女の言葉を聞くまでは。 『お前、化物だな』 . 『普通、あんなことを言われたらもう関わりを持とうとしなくなるのだが、少なくとも今までの奴は大半がそうだった。なんともイレギュラーなやつだ』 「…そう、言われることは慣れてるから」 こっそり宿舎のテントを抜けたのは初めてだし、神様と話をするのも初めてだったから、口の中が乾いて心臓も激しく胸を打っていてなんとかそう口にできたことに驚いた。小さいころから火を操れたことにより化物と言われることが多かった。両親はそんな自分をおかしくない、世界にはそんな人が他にもいる、と守ってくれていたが、『神の代弁者』たちの指示によってその命を奪った。だから、神様が自分のことを化け物だと言うのはすごくその通りだと思ったし、自分でも納得していた。でも、どうしてか”神様”の姿が見えるのは少年兵の中では自分だけだったから、一回だけ、どうしても会って話がしたくなった。 『炎を連れてるくせに私まで手に入れようとしているのか?なんとも強欲な小僧だな。だがそれは無理だ、私は既にある男のものなのだ、あきらめろ』 「?」 『何をほうけておる。そのために来たのだろう』 「どうして神様を手に入れるの?」 『…。ふむ、思想の相違だな。互いに思い違いをしておるらしい。言っておく、私は神などではないし、この世に神なんていない。…どうやらお前がここにいることがばれたらしい、まだ特定はされてないから早くテントに戻るといい』 言っていることの半分も分からなかったけれど、本当に足音がすぐ近くから聞こえてきたので見つからないように移動して、なんとかテントへと戻ることが出来た。布の中へともぐりこみ、上を向く。小さい頃からいつも見えていた、炎のようにゆらめく光。 . 死体。今日まで一緒にいた少年の死体。大きいのから小さいのまでそこら中に死体が転がっている。神様。守ってくれない神様。神の鉄槌なんて相手に与えてくれない神様。 「神なんて…っ」 こちらへ向かってくる男たちの足元に火が生まれる映像を想像する。それだけで男たちは踊るように火に飲み込まれ、黒ずみになる。火だ。もっと火を。あたり一面が火に飲み込まれる。そこら中で悲鳴が上がる。この世に神なんていない。そう最初に言ったのは誰だったろうか。火が広がる。炎は自動的に自分の周りで止まるが、もういいような気がした。火が足元まで近づく。もう小さい頃から見えていた炎は見えない。見えたのは、見たことも無いような足をした、女の人。かみさま。 『小僧、私を受け入れるか?ならば私はお前の神になろう。お前も私の神になってくれればな』 . 次に目が覚めたとき、あたりは焼け野原になっていて、でも自分の周りは水で消火がされていた。上を向くと薄い雲から月の光が漏れていて、同じようにそれを見上げる半透明の女の人。 ソラン・イブラヒムは生まれながらの超能力者だ。その能力は「残留思念を使役する力」。残留思念は火、水、土、雷、草、あらゆる力に宿っていて、媒体によりその力を発揮する。媒体とは、残留思念にとっての自身を見つけられる能力者。その能力者に見つけてもらい、使役されることでその形容を保つ。 『私を使役していた男は死んだ。そしてお前が私を求めた。だから私はそれに応えた』 「炎のざんりゅう…しねんが消えたのは、何故」 『私が炎に打ち勝ったからだ。いや、簡単に言えばお前が炎よりも水の私を選んだから、だから炎は自然に帰った。お前も一つの残留思念だけを使役するタイプなのだな』 その言葉から、前の男というのも自分と同じ能力を持っていて、そして女の人を使っていたのだとわかった。 『私も、あの男が生まれたときからあいつについていた。どうやらこの能力者は生まれつき一つは残留思念を持ってるんだな。しかし交換が可能とは。あいつは知らなかったのかな。それとも知っていて、私を選んでいたのか』 「…あの炎はしゃべったことが無かった」 『私がうるさいとでも言うのか。生意気な小僧だな』 ◇ 刹那・F・セイエイとして彼がこの組織に入ったとき、彼の能力は「水を自在に操る力」と処理された。あれから残留思念の交換はしていなかったし、するつもりもなかったからそれでいいと思った。いろいろと交換して使いこなすほうが便利だとは考えたことがあったが、なぜか実際に変えるという考えは浮かばなかった。刹那自身が意識して水の力を使うことも出来るが、水の残留思念自身が刹那を攻撃から守ることもある。後ろに目が付いている状態だ。これは炎のときはなかった現象だ。だから刹那の戦闘能力は高いと評価されている。 『私は、お前のことをどんな攻撃からも守ると言いいはしたが、人間関係にまで口を出した覚えは無いぞ』 水槽の中からの声に、刹那は腹筋の動きを止めた。別に刹那自身さえいれば水の残留思念だからといって水自体が必要なわけではないのだが、彼女のその姿からなんとなく用意してみると、彼女もなんとなくこの部屋にいる間は姿を縮めてその水槽へと身をおくようになった。 「どういう意味だ」 『なぜ誰とも付き合おうとしない』 「俺の勝手だ」 『私がつまらん』 「無茶苦茶だ」 『あとそろそろこの中身に飽きてきた。観賞魚じゃないんだぞ』 砂漠にいるときは魚なんて見たことが無かったから、彼女の姿に疑問を持ちつつも変に意識はしていなかったが、広い世界を知ると彼女は一般的に言う”人魚”のような姿をしていて、妙に納得をしてしまった。炎はそのまま炎のような姿をしていたから彼女も水の姿をしていてもおかしくないのだが、炎は意思が無いように見えたが彼女は意思があるように見えるので、姿かたちは残留思念によって異なるのだろう。他の残留思念を見つけたことが無いので言い切れはしないが。 「なにか欲しいものはあるか」 『変なところでマメな男だな。今回はなにも要らん。水と砂利だけで満足だ』 「そうか。今変えるからそこから出てくれ」 『うむ。…なあ』 「なんだ」 『別に、前の能力者はお前の炎で死んだわけではないんだぞ。だから変に義理立てする必要もお前にはない』 「そんなのしていない。勘違いだ」 『ん…そうか。しかしかわいげが無くなったのぉ…』 「必要ない」 『もう少しかわいげがあるともっと他の人間と仲良く出来るぞ?いやいやそんな顔をしても無駄だ、ちゃんと理由だってある。相手を知ることは任務に成功率上昇にも繋がると思わないのか?相手がどう動くか、そんなのシュミレーションだけじゃ分からないだろう、結局それは決められた動きをしていると同じようなものだ。相手が何を好み、嫌うか、それを知ることでなにか任務中にイレギュラーなことが起きたとき相手がどう動くかも分かることがあるだろう。人間というのは、理性よりも感情で動くことが多いぞ。お前も分かってるだろう、のう』 「…俺にどうしろと言うんだ」 『そうだな、まずはお前に興味を持つやつ、単なる好奇心や立身を目論む奴はある程度除外して、そういう奴に愛想良く接してみるといい』 「愛想良く…」 『心配するな。今までのお前の態度ならどれだけ無愛想でも返事さえすれば愛想良くみえる』 石は敷き詰めたままにするつもりだったが、やめることにした。 ◇ 資料を手に刹那・F・セイエイの部屋に入ったとき、ロックオン・ストラトスは水槽の中身が水以外消えていることに気が付いた。刹那が無駄な接触を嫌い誰にでも距離を置いていることは知っているし、おそらくは聞いても無視をされるだろうなとは思ったがそのことを聞いてみた。するといつもは視線さえもこちらへと向けないことが多いのに、今回は何かを探るように刹那の瞳はロックオンを捕らえた。おや、と思っていると刹那はおもむろに口を開く。 「模様替えだ」 ロックオンはもう一度確かめるように水槽を見てみるが、やはり中にはなにもいない。何かの比ゆ表現、または他の何かを意味しているのか、今のロックオンには判断がつかなかった。だが。そうか、と答えつつもなにやら刹那の中で変化があったのだと感じて頬が緩くなるのを感じた。それを見られ睨まれる。 後ろで笑うように水が音を立てたのが聞こえた。 #はなびらをのんで(刹那と人魚) |