ロックオン・ストラトス、彼はある孤児院に寄付を行っていた。
 組織の中の人間は他の人間に隠していることの一つや二つ、必ずと言っていいほど持っている。それは刹那にとっての自身の能力であったり、ロックオンのその孤児院だったりする。ソレスタルビーイングがテロリストに近い組織だとしても、その組織図はしっかりとしているもので、構成員に給与というものが与えられている。構成員自身が知ることはないが、この組織のサポーターは世界各国の権力者であったり大富豪であったりするので、危険な任務にふさわしい額の給与を構成員に支払うことができる。ロックオンはその金から毎月いくらかを孤児院に寄付をしていた。
 ロックオンは重厚なクリスチャンというわけではない。単なる偽善で孤児院に寄付を行っているわけでもなければ、自分の行っていることを悔いてその償いとしてというわけでもない。ロックオン・ストラトス、本名ニール・ディランディには娘がいる。



 娘に会いたくない、といえば嘘になる。この世で一番愛した・今でも愛している・これからも愛すと誓った女との子供だ。生憎とその女をあの世に待たせている身なので、この世では一番いとしい人間だ。だからといってそうほいほいと会いに行けるわけではない。自分で育てることを放棄したんだ、今さらどんな顔して会いに行けるというのだ。正確にいえば、放棄ではない、安全な場所への隔離だ。育てる自信がなかった、ということも理由の一つに入ってはいるが、一番はの安全を考えてのことだった。
 魔女の最期を看取った後、ニールのしたことといえば魔女の暗殺を依頼してきた依頼主の殺害、その近しい者の殺害、殺害。なんとなく、手を出しては不味い相手だということは長年の裏稼業で培った勘が囁いていたが、現場から自分を結び付ける証拠品なんて出るはずがない。ニールの得意分野は遠距離射撃だ。おおよその射撃場所は知られても、こちらの姿があちらから見えるはずがない。そういったスタイルを好んでいた。それが一番安全だからだ。
 それが終わった後、ニールはある孤児院にを預けてきた。預けるといってもシスターに直接懺悔と共に渡したというわけではなく、どこかの映画で見たように籠のなかに彼女を入れて風のあたらない・見つけやすい場所に置いてきただけだ。籠の中に一緒に入れたの愛を綴った手紙などではなく数字の並ぶ小切手だったが。

「は…はは、ったく、世話ねぇな、俺も…」

 大きな理由の一つに、おそらく自分はを置いて早くに逝ってしまうということが予想されていたことが挙げられる。俺が死んだら、誰がの世話をする?自分勝手な愛情で中途半端に育てるよりは、他人に託して安全な場所で育ってほしかった。絶対とは言い切れないが、は能力者ではなかった。魔女から生まれた娘だ。魔女の能力まで受け継いでいるのではないかと疑ったことはあるが、彼女が小さな傷を作った時にそれが直ぐに治らなかったのを見て違うと分かった。
 定期的に寄付をしているのは罪悪感と感謝からだ。魔女とその娘への罪悪感、孤児院への感謝、そこには昔一時的だが自分が世話になったことへの礼も含まれている。あのシスターはまだ元気なのだろうか。

「がッ、う、 っはは…」

 たまに車の中から孤児院の庭で遊ぶを見ていた。元気に育っている、それだけで俺は幸せだった。魔女が俺に残してくれた子、愛してる、愛してる。

…愛してる」

 痛みで朦朧としてきた意識で呟いたその言葉は、どちらに向けての愛の言葉であったのか。ニールは自分でもそれが分からないまま、目の前で倒れている男から視線を逸らした。

「…最後の最後で甘かったなァ、色男ォ!」

 瞬間、わき腹を小さな鉄の塊が貫通した。油断した。もう死んだと思ったのに。ニールはその場に崩れて、長い赤髪を揺らしながらゆっくりと体勢を立て直した男に視線を向ける。

「ぐ、はは…ったく、いってぇなァ。…でも死んだと思ってたろ?そう簡単に殺されるかよ。しっかし、因果なモンだなァ、お前もそう思うだろ?色男よ。ふん、もう聞こえてないか?ははァっ、愛した女は×××…お前の人生ちったぁおもしろかったぜ」

 聞こえてるさ。どうやらもう答えてやることはできそうにはないが。確かに、因果だなこれは。
 魔女に出会う前までは、この男を追い求めていた。ニールの家族は超能力者同士の戦いに巻き込まれて死んだ。その戦いを指示したのがこの男だった。魔女に出会い、優先順位が変わってしまったが、その魔女はもうこの世にいない。超能力者集団でありながら、他のテロ組織とは違う組織図を持つCBに入ったのはへの理解を深めるためと、この男の存在があったからだ。最初はだれかすらも分からなかったが、ただ惰性で任務をこなしてきたわけでも人づきあいをしてきたわけでもない。過去にこの男の組織に身を置いていた刹那の話もあってこの男の存在が浮上した。後はありきたりな復讐劇。違ったのは、俺が過去に殺した人間と近しかった奴がこの男に俺の殺害を依頼していたことだ。本当、因果って怖いな。
 決して刹那的な生き方を求めたわけではなかったのに、結果的にそうなってしまったな。俺を笑うか?お前ら。まったく、この世は男と女、能力持ってる奴とそうでない奴。簡単なようで簡単じゃない。俺は自分の好きな女が笑って生きれない世界なんて、嫌だね。



 天国というには地味なように見えて、地獄というには穏やか過ぎる、そんな場所だった。あの世というのは。
 ああ、死んだんだな、と理解するのには時間がかからなかった。あの男との交戦でもう助かりそうにない怪我を負って、今はその怪我が綺麗さっぱり消えていたからだ。それに、体が彼女に反応している。同じ世界にいるんだ。近くに存在しているんだ。ニールを最後に騙して逝ってしまった彼女が、近くに。心がうち震えた。最初になんて声をかけよう。身長がまた伸びたこと、気付いてくれるだろうか。抱きしめた時の位置が変わってしまうだろうが、きっとすぐに慣れる。早く会いたい、

「二年前の12月3日の水曜日、お酒の入ってるときに女性に誘われそのままついていき熱い夜を過ごしたことへの謝罪、聞かないこともないわよ」

 土下座をしておいた。



「天国や地獄なんてないわ。ここは死んだら必ず訪れる場所よ。でも、世界中の死者がここを訪れていたら、一日に何百人も見ることになるけど、そうなったことはないからきっと現われる場所は色々あるのね。そろそろその格好崩してもいいわよ」
「うっ、ぐうぅぅっ、足、が…!…!俺が愛してるのはだけだ。出会ってから今までもこれからも!」
「分かってるわ。お酒入ってたし、一度だけだったし、起きた時一瞬自殺考えてたみたいだし」
「…そこまで筒抜けになるものなのか?」

 は意味深な笑顔を見せただけで、その他詳しいことは教えてくれなかった。正座をしていたせいで足に血液が回らずにしびれて仕方がない足をさすりつつ、体が熱くなるのをニールは感じていた。本物、だ。また本当に会えた。
 本当は死後の世界なんて信じていなかった。でも他でもないとの約束であったから、思い描いてはいた。想像とは少し違う、なんだか穏やかな場所であったことには驚いたが、あまり不思議に思うことはやめた。詮無いことだ。に会えた、その事実が何よりも大事だ。

「聞きたいこと、他にもあるはずでしょう。ニール、あなたの行動は見ていたわ。無茶ばかりして、気が気ではなかったけれど」
「何から聞けばいいのか…。というか、俺の頭の中である程度繋がってるから、これから聞くことは確認になるんだが、それでもいいのか?」
「いいわよ。最後に大変なことを聞いてしまったニールに同情してあげる」
「優しいねぇ、まるで女神だ。…たぶんこの一言で全部繋がる。アンタを殺してくれと俺に依頼したのは、俺の所属していた組織…CBで間違いないか?」



 。彼女にはいくつもの肩書きがある。死なない女・魔女・母親・CBの最初のメンバーの一人。死なない女と気付いたのは親も兄弟もみんないなくなったとき。魔女と呼ばれたのは街を転々としているときに油断をして怪我の治るところを見られたとき。母親になったのはついこの間。CBから抜けたのはそこに存在意義をなくしたから。
 もイオリア・シュヘンベルクに声をかけられたうちの一人だ。彼は超能力者を集めていた。表向きは超能力者と普通の人々との軋轢のの消失を謳っていたいたけれど、それだけではない気はしていた。しかし当時にはこれといった目的もなかったので、退屈しのぎになるだろうかと参加した。いいや、本当はさみしかったのだ。人と仲良くなってもその人はを待たずしてみな死んでしまう。それでなくてもが超能力者だと分かると離れてしまう者も少なくなかった。迫害もされた。同じ能力者たちなら、受け入れてくれる、という期待があった。
 様々な研究や実験に、は”死なない体”を提供した。から得たデータをもとに、何かとんでもない物を生み出そうとしているということは知っていたが、詳しくは聞くのを止めていた。そのときに、の体が子供を作ろうとするとおそらくは細胞に異常をきたす現象が起こりうるということを聞いた気がする。の体が朽ちずにいるのは、簡単に言えば細胞の再生速度が異様に早く、限度が無いからだ。それだけでは説明できない事象もあるが、自然治癒能力の超発達といってもいい。それが自身に向けて発揮されているうちはいいのだが、他の生命、つまりは子供を子宮内で生成するとそのエネルギーが子供へと向いてしまい、自身の肉体のフォローをしきれなくなる。そうのデータを取った研究者に言われた。どのようなサイクルでそのようなことになるかまでは分からなかったようだが、誠に能力者というものは理屈や常識とかけ離れていると、と研究者は一緒に笑った。そして同時に不思議と納得もできたものだった。不死ということは乱暴に言えば子孫を残さなくとも問題はないということにもなる。そんな人間が(自身を人間と呼べるかどうかは別として)子供を持つというようなことをすれば、自身に不死という能力を与えた【何者】かに能力をはく奪されてもおかしくはない。そう思えたのだ。いいや、そうであって欲しかった。
 潮時だろうかと思ったのはCB創設時の初期メンバーが全員を置いて逝ってしまったときだ。それでも既にの居場所となっていたCBからはなかなか離れることはできないもので、ずるずるとCBの様々な研究に協力したり次世代たちを導いていたが、CBも一枚岩ではなくなってきたと感じたときに見切りをつけた。
 やりたいことが見つからない。生きることがつらい。CBを抜けて再び目的を失ったとたん、そう思うことが多くなった。自分の存在していた証を全て消し去って、そして自分も消えてしまいたいと。ちょうど良くのことを快く思っていない勢力もいたので、彼らに最期をまかせても構わない、とさえ思っていた。彼らに大義名分を与えてやろうと自分の関わった研究資料を盗みだして処分したり、自分から生み出されたもの――今思えば彼らはの子供たちとも呼べる存在なのかもしれない――のデータを書き換えたりと好き勝手をしておいた。実際に何度か殺されたのだが、そのときほど自分の能力を憎んだことはなかった。つまり死ねなかった。
 それから数十年後だ。彼らとのいたちごっこにそろそろうんざりしてきたころに、なにやら執拗に自分を狙う暗殺者と出会ったのは。



「正確に言うとCBの監視者と呼ばれる存在…のひとつね。私を狙っていたのは。今では組織内には私を知らない子たちのほうが多いでしょうし、あなただって知らなかったでしょう。だからたぶんだけど、監視者の下にいた、つまりあなたに依頼した人殺しちゃったんでしょう。見ててハラハラしたわ。でも表だって監視者が動けるわけもないから、頃合いを見てあなたを暗殺しようとしてたみたいね」
「知らない間に…ずいぶんと危ない綱渡りしてたんだな、俺…」
「結果としては綱から落ちてしまったみたいだけど、よくがんばったわよ。私の罪は、知ろうとしなかったこと、そして見捨てて…あきらめたことね。…私、待ってたのよ。自分から行動するのに疲れたから、待つことにしたの。私を殺してくれる王子様」
「あんたの罪とやらは俺はまだ知らないが、…それはまた、物騒な王子を待っていたんだな」
「あら、結果的にあなたがそうなのよ」
「あ?…あっ、本当だ」
「ふふふ、変わらないのね。ちょっとは大人になったかな?って思ってたんだけど」
「いいや。変わったさ、ただ今は見えてないだけで。…これからゆっくり見ていくだろ?」
「もちろんよ。あなたを待つ時間は、すごく長かった。…まあ、意外と来るのが早かったけれど」
「それは…、悪、かった…?いや別に悪くは…確かに残してきちまったけど…でも孤児院には俺がいつ死んでも自動的に寄付するように口座いじってたから、金の面では問題ないはずだし…」
「そういう問題じゃないんだけれども。ね、私、結構呼びにくいんだけど。あの子の名前」
「かわいい名前だろう?俺が世界で一番いとしいと思ってる名前だからな」

 照れ隠しなのだろうか、馬鹿な子を見るような目つきで見られた後に、少し戸惑うように抱きしめられた。温かい。やわらかい。記憶と寸分違わない感触に、不意に涙が零れおちそうになる。ずっと、ずっと。求めていた、欲しかった、さみしかった。仕方なかったと自分を納得させるしかなかった。大丈夫、もう失わない。仕方ないことなんて認めない。腕の中にいるんだから。そして俺はやっと、

「背、伸びた?」

 笑顔で答えることができる。





(ニールと幽霊)

inserted by FC2 system