一人の女が死んだ。ソレスタルビーイングがテロ組織であることから考えれば、それは別段特別なことではないのかもしれない。だた一つ、死因がわからなかった、という点を除いては。

「あいつ、結局表情ひとつ変えやしなかったな」
「まあ、らしいと言えばらしいですけどね」

 動かなくなった彼女を最初に見つけたのは、彼女と同じ情報処理能力に特化した特務隊のメンバー、クリスティナであった。ここしばらくは大きなミッションもなく、よく二人で街に出ていたようなので買い物へと誘うつもりだったのだろう。ロックオンがその場に着いたのはクリスティナが冷たくなった彼女に縋り付いて泣いているのをアレルヤが宥めている場面だった。ロックオンから少し遅れてその場へやってきたのがティエリアであった。彼女はティエリアの専属のサポーターのようなものであったから、何物も寄せ付けない雰囲気を持つティエリアではあるが浅からぬ仲ではあったはずだ。それにロックオンが組織に入る前からの仲だ、多く一緒の時間をすごしていたに違いない。ロックオンはティエリアの傍に行きかけ、彼が表情を変えずに彼女を見ていることに気付いて足を止めた。(悲しくないってのか?)訝しげにティエリアの様子をうかがったが、ティエリアはそれに気付くことなくその場を後にして葬儀にも出なかった。
 ここ最近は嘘のように平穏であった。小さなミッションはあったが、それは命にかかわるような大きなものではない。その中での仲間の死。ソレスタルビーイングは大きな力を持った組織だ。能力者の中でも特別に力の強い者や色々な分野のスペシャリストが世界規模で集められた組織。創設が一体いつ為されたのかは正確には分からないが、基盤が作られ能力の申し分ない人材が揃い世界中に支援者がいる。浅くない歴史があるのだろう。

「僕は、あなたが動揺していたことに少し驚きました」
「…そうかあ?俺だって仲間が死ねば平静ではいられないってことだよ」
「どこかあなたは一線を引いているように思ってたんです。僕の勝手な思い込みでしたけど、今思えば失礼な話ですね、すみません」
「いいや。…いいや、謝る必要なんてないさ」

 アレルヤの言うことはあながち間違ってはいない。ロックオンは能力者ではないし、どこかで能力者と自分とを区別しているところがあった。結果としてロックオンの身体能力に目をつけたソレスタルビーイングに誘われたとは言え、組織に入った理由はひどく不純だ。復讐。一時期、ロックオンの全てを支配していたと言っても過言ではない感情だ。彼の家族を奪った奴らへの復讐と、ロックオンが出会った女のため。その女はもういないし、彼女はロックオンがこの組織に入ることは望まなかっただろう。(単なる独りよがりさ。そのために利用しようとした、アレルヤが謝ることなんてなにもない)ロックオンが仲間の死を見て動揺したのは、彼の愛した女を少し思い出したからだ。彼女の死ぬところなんて、飽きるほど見たにも関わらずロックオンには彼女の死がトラウマだ。勝手にティエリアと彼女の仲を邪推した所為もあるが、ティエリアの態度に憮然としたのもある。それに最近のぬるま湯のような状況に慣れてきていたところにそれだ。いくら巨大な力を持った組織といえども、死からは逃れられない突きつけられた気分だった。

「僕たちは、テロリストなんですよね」
「…あ?ああ、そうだろ」

 何を今さら、と思ったが、アレルヤも同じようなことを考えていたのだろう。大きな力を持っていることで少しばかり死から遠いと驕ってしまっていた。重かった二人の間の空気を少しでも和らげようとロックオンは最初に口を開いたのだが、その結果より空気を重くしてしまったことに気付き溜息を吐いた。
 
 アレルヤと別れたロックオンは自室へと足を向けた。葬儀は比較的ひっそりと行われた。彼女に近しい者だけで行われた小さな葬儀。テロリストが葬式に親族を呼ぶわけにもいかないし、自分たちの立場上葬式をやれるだけでもかなり贅沢だと言ってもいいだろう。でもだからこそ、ロックオンはティエリアが彼女の葬儀に参加するのが当たり前だと思っていた。(俺は葬式に出ないほど険悪な仲ではなかったと思うがな)ヴェーダというソレスタルビーイングの要であるマザーコンピュータに心酔し、なによりもその命令を第一にする実務隊のメンバー。彼がそう行動する理由をロックオンは知らないわけではないが、情はあるものだと思っていたが。ぐるぐると不穏な方向へと行こうとする思考をなんとか制御しながらも何故こんなにも自分はティエリアのことを考えているのか。その理由は分かっている気がする。

「――――、―――――」

 なのでティアリアがよく入るのを見かける部屋から声が聞こえた時に足を止めたのはいわば反射とも言えるものだった。(ティエリアか?)この部屋は、ヴェーダに関する大事なものが設置されているということはロックオンも知っている。だが実際にロックオンが入っても設置された機会はうんともすんとも言わず、最終的にはティエリアに見つかり叩きだされた経験がある。ティエリアにしか使えないシステムがあることには気づいていた。が、何故かおもしろくない。相棒の葬式をすっぽかしてまでヴェーダのそばにいたかったのか?その気持ちはロックオンには分からない。このまま踏み込んでしまおうかとも考えた。だが。



 その部屋の中からその声が聞こえ、その声色が今にも泣きだしそうな、そんなものだったから。

「君の…――、――だから…、………、――生きるさ」

 (……)
 ロックオンには大事な人間がいる。それは魔女と呼ばれた女であり、ロックオンの全て。ロックオンは今までの女性経験は多いほうだし、そういったものを見分ける目も優れていた。だから全ての男女を見てそういう仲だと決めつけることはないし、逆にそういった仲の男女もすぐに分かった。少なからずティエリアとの二人には絆があった。ロックオン自身も何よりも大事にしているものだ。だからティエリアがそれを蔑ろにする様子を見て腹が立ったのだ。ただ単なる八つ当たりみたいなものであったが。だがこれは違う。ティエリアは蔑ろになんてしていない。逆に誰よりも彼女を想っている。ただ、それはロックオンの考える男女の絆ではなく、彼らにしか通じない繋がりであっただけで、ティエリアはそれを大事にしたのだ。





 第一印象はお互いに最悪であった。ティエリアの能力は大きく、しっかりと制御をしないと自身にさえ危険を及ぼすものであるが故に彼の能力に合ったサポーターをつける必要があった。その白羽の矢に立たされたのがという少女であり、彼女は「千里眼」の持ち主であった。

「必要ない」

 ティエリアの能力は敵の殲滅の重要な役割を担っている。だがその力を彼が完全に制御できているとは言えない状態であったので戦術予報士のスメラギは二人を引き合わせたのだが、を一瞥してティエリアが放った言葉は冷たいものだった。

「な…どうして?今のままではいけないことだってあなた分かっているでしょう」
「俺は俺だけの力だけで十分にやっていけるからです。今までもそうしてきたのに何故今さらそのようなことを仰るのか」
「でも、先日あなたの放った力が逸れて被害を出してしまったことは分かっているでしょう?」
「最初からあそこは破壊する予定の場所であったから、結果としては問題ないはずです」
「そんな、あれで逃げ遅れた能力者たちだって…」
「相手は敵ですよ?最初からあなたの立案したデータの奪取だけではぬるいと思っていました」

 あまりの言い草に茫然としかけたスメラギの目に、今まで黙って聞いていたが動くのが映った。なにを?と思う暇もなく彼女はティエリアの頬を思い切り殴っていた。

「な」
「…っ」
「わたし、あなたみたいな人大嫌い。こっちから願い下げよ」

 突然のことに反応できなかった二人を残し、は憤った様子でその場から去って行った。





「ティエリアのこと殴ったんだって?聞いたわよ」
「だって、あの人の考え方、すごく自分勝手でむかっときたんだもん」
「でもだからってあのティエリアを殴るなんて、できるのくらいしかいないわ」

 クリスティナに言われ、確かに自分はあのときは考えるよりも先に手を出してしまったとは思い返した。でもそこまで腹が立つことを言われたのも事実だ。すぐに暴力に走ってしまったことは悪いと思ったが、その行動自体を悪いとは思えない。
 通称、孤児であるために本名は誰も知らない。彼女の能力は「千里眼」。千里眼と言っても全てを見渡せる能力があるわけではなく、力の流れの捕捉・解析・集積できる能力だ。いわばレーダーのようなものであり、制御装置のようなものでもある。簡単にいえば「力の流れを制御する能力」、ティエリアに必要なのはこの能力だ。彼の力は大きいが故に細かい制御は一人では難しい。だががいればティエリアの放つ力を制御し力を増幅させることも減少させることもできるし、敵がどこに潜んでいるかもすぐに察知できる。ティエリアの能力は「電磁波干渉」、物質の分子に直接影響をあたえ沸騰させ物質を破壊することに長けた能力だ。その能力は破壊力が高く攻撃範囲が広いので思った以上に被害を出してしまうことが多々ある。だからこそスメラギはこの二人を引き合わせたのだが、どうやら二人の性格は合わなかったらしい。

「このまま何もしないでいる気?」
「ううん、それはない。だって、拾われた以上わたしはここで役に立ちたいもの」

 親のいないを拾って育てたのはソレスタルビーイングだ。それはが能力者であったことが大きいが、ここまで育ててくれたというのも事実だ。今までは特務隊に身を置いて相手の情報を集めることをしていたが、それに関してはもっと合った能力を持っている人間もいる。これは自分にしかできないと思われたから、数少ない実務隊のマイスターの下に着けと言われたのだ。(まさかあんな人だなんて思っていなかったけれど)
 少々落ち込みかけたの耳に入ったのは、無情にも数日後に迫ったミッションを告げる音声だった。





「まだ痛むか?」
「…そりゃあ」

 ミッション事態に失敗はなかった。少しばかり危惧していたけれどティエリアはの指示を聞いて動いてくれたので、いつものように敵も建物も半壊、という状態にはならなかった。途中までは。

「しばらくは絶対安静だからな。動き回るなよ」
「無理ですって、この傷見てくださいよドクター・モレノ」

 がぶっつけ本番で制御をするにはティエリアの力は大きすぎた。簡単に言えば抑えていたティエリアの力が暴発してしまったのだ。途中乱入してきたその国の対超能力部隊もあっての集中力が少しばかり乱れてしまった。能力者を相手に戦っているときでも他からの介入が無いわけではない、それは頭では理解していたし、今まで何度もそのような報告は受けている。だがにとってこれは初めての実践であったし、スメラギからも横やりが入る可能性は低いと教えられていた。いいや、そんなのはただの言い訳での集中力が足りなかったのだ。何度か仏頂面のティエリアとシュミレーションをしていたとは言え、ティエリアの力がどれくらい巨大かも分かっていたのに、実践の中で怯えてしまった。死ぬかもしれないと。不幸中の幸いは当初の目的を果たした後であったことと、ティエリア自身には彼の能力であることもあって目立った傷はなかったことだ。だが被害は大きかった。その場にいた人間全てを巻き込みながら、その建物は崩壊した。

「きっと実力が無いくせに大口を叩いた小娘だって思われた」
「ああ、お前たちの馴れ初めは私も聞いたよ。だが流石にそこまでは思ってないと思うがね」

 崩壊直前に少し離れていたところで待機をしていた「物質移動能力」の持ち主に連れられてティエリアとはその場を離れることはできたが、暴発したティエリアの力に直撃してしまったは決して無事とは言えない状態になっていた。気を失っていたのはにとって幸いだったが、目を覚めた時全身に走った痛みは尋常ではなかった。しかしそれでも治癒能力を持つ医者に治療を施された状態で、気を失っていてよかったとは心から思ったものだ。
 あれから少し時間が経ち、もう自分一人で動ける状態にまではなったが医者がそれを認めていない状態だ。ドクター・モレノの能力は人間が本来持つ自然治癒能力の活性化を促す能力の持ち主だ。あまり一気に治癒を進めてしまうとの細胞が破壊されてしまうということで少しずつの治療となってはいる。としてはこの痛みからおさらばできるなら少しぐらい細胞が死んでも構わないのだが、ティエリアの能力で全身の細胞が焼かれた状態だったのだからこれ以上破壊するわけにはいかないというモレノの説得で一応は納得している。

「どうしてですか?…だってティエリア、一回も顔見せに来ないし、きっとわたしに呆れてしまったんだと」
「ん?一回も見ていないのか?」
「ええ、ティエリアがわたしの心配するわけはないと思うし、というかこれはわたしの失敗なんだし、仕方ないといえばそうだけど」
「ほうほう」
「って、さっきからなんですかその反応。なんだか楽しんでるようにしか見えないんですけど」
「楽しんでなんかいないさ。なあ、ティエリア」
「え?」

 なんだかニヤニヤしているドクター・モレノに腹が立って物申すと、予想外の言葉が返ってきた。ドクターの視線は入り口の近くに向けられていて、もつられてそちらを見るとバツの悪そうな表情をしたティエリアがしぶしぶといった様子で出てきた。

「え、え、え?」
「まあ、あとは二人で今後のことを話し合いなさい。私はこの後用事があるから留守にするが、間違ってもここで暴れるんじゃないぞ、二人とも」

 ドクターがそう言ってのベッドから離れて出ていくと、当然のように何も言わないティエリアとまだこの状態が分かっていないが残された。

「傷の具合はどうだ」
「あっ、え?」
「傷の具合はどうだと聞いているんだ」
「…もう半分は治ったってドクター・モレノが」

 それを聞くとティエリアはそうか、と一言言ってまただんまりを決め込んでしまった。内心「???」な状態でいっぱいのは今の会話はなんだったんだと思いながらももしかしたら心配して来てくれたのかとティエリアを見た。変わらない無表情、ではなくなんだか少し不機嫌そうな表情で、決してこちらに視線を送ろうとはしていない。…あれ、これ本当に心配してるのか?

「先日のミッションで君への課題はその集中力の増幅だとヴェーダから提示された。俺もその意見に相違はない」
「えっ、あ、はい」
「それに模擬戦闘の時点で君にはなにか危ないものを感じつつもそれを言わなかった俺にも責任がないわけではない。ほぼ君の力不足が原因だがこれからまたミッションを共にすることになるのだから俺としても君の技術向上は推薦すべき事柄だと思う」
「ちょ…」

 今なんて言った?

「だから早くその怪我を治してトレーニングに入りたいところだ。見ていて思ったが君には持久力も少し足りないように思う。動きは悪くなかったが今まで特務隊にいたという言い訳は俺には通用しないぞ」
「じ、持久力のなさは自分でも認めるけど、ってちょっと待ってよ」
「なんだ。もうトレーニングの内容も決めてあるんだ。今さら嫌だなんて言わせないぞ」
「い、いやそうじゃなくて」
「なんだ」
「なんで…?」
「…話を聞いていなかったのか貴様は」
「違う!トレーニング自体については何も異論はないから!」

 なんだか危ない気配を感じて、具体的に言うとティエリアが能力を使いそうなそんな気配を感じては急いでストップをかけた。そうじゃない、そうじゃないんだ。

「どうしてまだわたしと組む気になったの?」
「…」
「ティエリアは最初乗り気じゃなかったし、それでなくともわたしの態度もミッションの結果も悪かったのに」
「単に、君と組んで行ったミッションが、効率的だったからだ。最終的に失敗はしたが、それは慣れさえしてしまえばどうにでもできる失敗だ。それに君の能力と俺の能力、余すところなく発揮できたら今までよりずっとできることが増える。それはミッションを行う上でプラスになりはするがマイナスにはならない」
「効率最優先ってこと?でも…」
「まだ何かあるのか」
「わたし、最初に会った時ティエリアのこと思い切りひっぱたいたのに…」
「俺はそんなことは気にしない。いつまでも個人的な感情に振り回され何を優先すべきか迷うなど馬鹿のすることだ」
「ば、馬鹿で悪かったね」
「それに、君の怪我のこともあるしな」
「えっ」
「倍以上で返せたから幾分かはすっきりした」
「しっかり根に持ってるんじゃないか!」

 もしかしてわたしの心配をしてくれた?なんて一瞬でも感動した自分が嫌になった。思い切り個人的な感情がこもってるじゃないか、と先ほどのティエリアの言葉の矛盾には思い切り突っ込みたくなったがここでまだ何かを言って機嫌を損ねるのは得策ではない。それに、ほんの少しだったが目を見ずに会話をしているティエリアの表情がバツの悪そうなものであったから、は見えないように少し笑った。





「違う!ここではこう反応したほうがいいに決まっているだろう!」
「どうして!だってそれじゃあ右から敵が現れた場合に対処が遅れるじゃない!」
「だから何のための連携だと思っているんだ!君の仕事はあくまでも俺のサポートだろう、無暗に前に出て余計なことをするな!!」
「だってティエリアが能力使ってるときはどうしたって隙ができるじゃない!いくら威力が高くても後ろから襲われたら元も子もないんだからね!」

 ぎゃーぎゃーと言いあう二人を見て、ラッセは今日の訓練はここまでにするかと持ち上げていたダンベルを下ろした。が怪我から全快を果たしてから、毎日似たようなやり取りをしている。表向きはの持久力の増加と戦闘に慣れる訓練だが、彼女は元々向いていたのかめきめきと力をつけ、今ではティエリアに駄目だしをバンバンするまでになっている。実務隊であるからには能力のほかに身体能力も必要となってくる。数少ない実務隊のメンバーは戦闘に支障が無いレベルではあるが、個人差は結構ある。特にティエリアの能力は使っている時は動くことができないのでその分補佐が必要となる。威力が大きい分リスクも大きいのだ。なので今回の言い分はの方に軍配が挙がる気がしたが、ティエリアもただ言われるだけの性格ではないので、相手に理があると分かってもなかなか素直になることができない。それに確かには前に出すぎだ。ティエリアを守ると言っても、前に出すぎてティエリアから離れたらそれこそ本末転倒だろう。下手したら巻き込まれる可能性だってないわけではない。の能力上敵の存在を気付かないことはないだろうが、誰よりも早く気づいてしまう分反応も早くなってしまうのだろう。

(お互いに悪いところを直せばなかなかのコンビになると思うんだがなぁ)

 ラッセがそれに気付きつつも、二人に助言をしないのは二人はなんだかんだ言って頭がいいのでラッセが気づいていることは大抵自分自身も分かってるからだ。それでもお互いに折れようとしないのは、…性格かもしれない。面倒くさいやつらと思いつつも、最後はなんだかんだ言っていい場所に落ち着くのを何度も見ているので、ラッセは肩をほぐしながらその場を後にした。





 数え切れないほどのシュミレーションと口論を繰り広げ、何度か実践を体験しお互いのいいところも悪いところも理解しあった二人はラッセの想像していたとおりなかなかの戦果を上げることができるコンビへとなっていた。もちろん他の能力者の援護や協力もあってのことだが、経験の中で二人が少しずつ相手に心を許し始めたのも大きな理由となるだろう。
 そうした中で、いつからだろう、の中から笑顔というものを見る回数が極端に減った。元がよく笑い、よく喋る娘であっただけにその変化は大きいものだった。

「わたし、ティエリアの子供が欲しい」
「…ふざけているのか、君は」
「だってそうしたらわたしのこと忘れることできなくなるでしょ?ねえ、わたし忘れないでほしいの」

 覚えていてよ。忘れないで。がそういった類の言葉を口にしだしたのは、最近だった気がする。何度もそう繰り返すに自然とティエリアの整った眉が寄せられた。ティエリアは決して物覚えの悪い方ではなかったし、物忘れもひどいとは言えない。それをは重々承知なはずなのに、なにを考えているんだこの女は。

「…ふふ、うそだよ。ティエリアのそういう顔が見たかっただけ」

 の言う「そういう顔」がどんなものかは想像もしたくなかったが、おそらくは怪訝な、呆れているような顔であったのだろうことは分かる。ティエリアはひとつ溜息を吐いて先日行った模擬戦闘のデータを眺めた。

「そんな悪趣味な嘘は吐かないでほしい。それでなくとも君の最近の言動は目に余るものがある」
「そう?でもティエリア、わたしの言ったこと覚えてるんだね」
「?当たり前だろう」

 ティエリアにとってとは自身の能力を発揮するにあたり欠かせない相手であり、彼女の助言も的確で的を射ていることが多い。最初のころと比べ、最近では関係の無い話題も口にしているようだが、それに関しては特にティエリアからは大きな不満があるわけではない。むしろとの会話を楽しんでいる自分がいることにすら気付いて驚いているのだ。ティエリアの言葉には意外そうに目を丸くしたが、ティエリアはその反応が意外だった。

(てっきり根拠もない自信に満ち溢れている人間だと思っていたが)

 想像に反してネガティブな思考の持ち主だったのか。そう思うとなんだか不思議な罪悪感にさいなまれないこともない。若干の空気の気まずさが生まれたことに気付いたティエリアは気付くとこんなことを口にしていた。

「君はなんの心配もしないで軽口をたたけばいいさ。そのくらいなら俺だって聞ける」

 らしくないとは思ったが、なんとなくこれは伝えた方がいいと思ったのだ。案の定は何を言われたのか分からなかったようにぽかんとした表情を見せ、予想していたとは言えそう思い通りの反応を返されると前言撤回をしたくなった。自分に忘れるなと何度も言うくせに、本当は自分のことなどどうでもいいんじゃないのか。憮然とした気持ちになりティエリアが口を開こうとした一瞬前に、小さな声でありがとうと聞こえたので、ティエリアはおとなしく口を閉じて、何も聞こえなかったようにデータに目を移した。はその姿を見て、誰も気づかないような小さく泣きそうな声で呟いた。

「…うそなんかじゃないよ」





「わたしが死んだらティエリアは悲しむ?」
「…またか」

 軽口を叩いてもいいと認めはしたが、こう何度も聞いていてあまり楽しくない話題ばかりを持ち出されると流石のティエリアも辟易する。このようなことを言いだしたのと、からなにやら元気がなくなったのはおそらく同時期であったとティエリアは記憶している。何かあったのかと聞いてみても答えは全て答えにならないようなものばかりで、なにかを隠していることは分かったがそれ以上は何ひとつ分からなかった。今さら、何を隠しているというんだ。ティエリアとは長い時間一緒にいたこともあって、最初のころの険悪さが嘘のように気の置けない存在にお互いになっていた。それを口にしたことはないが、そう思って間違いはなかったはずなのに、何を隠している?その隠しているものが不穏なものだということにもが口にする言葉で察している。それなのに、何故何も言わない。その事実がティエリアをひどく苛立たせた。

「いい加減にしろ、最近の君はどこかおかしい。言動もそうだが、行動にもキレがない」
「…そうかな?最近寝不足で、ちょっと頭が働いてないだけだよ」
「寝不足になるには理由があるはずだろう。何故十分な睡眠がとれてない、何をしているんだ」
「……」
「日常生活に支障を来さない最低限の睡眠をとることは既に日常任務の一環だろう。それを怠るほど何を悩んでいるんだ。何故何も言わない。口を開けば意味のわからない言葉ばかりを話して、俺に何を求めているんだ。君のことを忘れないかだって?そんなの忘れろと言われた方が無理がある、なにしろ君は俺に初めて平手打ちをした女だからな。ちょっとやそっとではこの事実を忘れてなんてやらないぞ。君がいなくなったら悲しくなるか?そんなの言語道断だ、君は俺に必要な人間なんだ、勝手にいなくなるなんて許さない」

 ティエリアはその苛立ちをそのままの勢いでここしばらくため込んでいたものを全て吐きだした。今のところミッションに問題が起こるほどではないが、このままでは必ず何か問題が起こるだろう。そんな問題が起こると予想できることが既にソレスタルビーイングの一員としての自覚が足りていない証拠だ。それに忘れないでだの、死んだらだの、いなくなることを前提で話すその内容が酷く気に食わない。言葉にした通り忘れてなんてやらないし、いなくなることだって許しはしない。それほどまでにの存在はティエリアにとって強烈だった。
 ティエリアの言葉を驚いたように聞いていたはぱちぱちと目を瞬かせ、ぼろりとその瞳から涙を流した。これに驚いたのはティエリアだ。泣かせてしまうほどひどいことを言った覚えなんてないぞ。当然のことを言っただけなのに、何故泣くのだ。こいつの行動理由が分かった試しなんて数えるほどしかない。

「お、おい、泣き止め」
「ごめんなさい、ご、ごめんね、ティエリア」
「何故謝る!?謝るなら謝るで理由を言えっ」
「うっ、ぐす、今日一緒に寝てよティエリア」
「はあ!?何を言ってるんだ君は。脈絡がないにもほどがある!」
「最近、酷く夢見が悪くて、眠れないんだ。でも、ティエリアが一緒ならきっと大丈夫だから」

 だから、駄目?と目をこすりながら縋り付くようにティエリアの裾を握って来たを見て、ティエリアは小さくため息を吐いた。ここまで言われたら駄目なんて言えるはずないだろう。そこまで計算をしていたのかはの性格を考えると疑問だが、何かの中で変化があったように見えたのでこれで少しは改善されるならばしょうがない、とティエリアは割り切ることにした。

「悪夢を見るから寝不足で集中力が切れていたなんて、君は子供か」
「うっ、ごめんなさい」
「そういえば初めて会ったころも集中力が切れたせいで大きな失敗を起したな」
「あ、あれは主に被害はわたししか被らなかったから結果オーライじゃない」
「馬鹿か。俺に君を傷つけさせたくせに結果オーライも何もあるか」
「そういえば、心配して何度もお見舞いに来てくれてたんだよね。恥ずかしいからわたしに見つからないように」
「し、心配などしていない。ただ単にこのまま死なれたら面倒だとそう考えてただけだ」
「ひっど。…そのセリフは顔赤くして言うセリフじゃないと思うけど」
「目まで悪くなったか。これは一度ドクター・モレノに見てもらわないとな」

 お互いに素直でないもの言いをしてくすくすと笑いあう。久しぶりにと話ができたような、そんな気分だった。


*


「手、つなぐ?」
「馬鹿か」
「ひどい」

 いいや、この女だけを馬鹿と罵るには、今のティエリアの置かれる状態は酷く滑稽だ。
 が何を思ったのかティエリアとの同衾を言いだしたときからなにやらおかしな状況だと思いはしたが、今はそれ以上だ。まず寝具を二つ用意したにも関わらずはティエリアの寝るベッドへと潜り込んできた。それだけでも何を考えてるんだと叫びそうになったが、あろうことか必要以上にくっついてくる。そして先ほどの言葉。がティエリアに部屋に夜遅くに訪れるということ自体、人に見られて嬉しいとは言えないのに、なんなのだこれは。

「ティエリア体ひんやりしてるね。気持ちいい」
「君が熱すぎるんだ。子供か」
「いつもティエリアは一言多いよ。姑みたい」
「誰がだ」

 夢見が悪い、と言っていたことから悪夢を見るのだろうな、とは考えていた。人が近くにいたほうが悪夢をもし見てしまっても安心できるという気持ちは分からなくはないが、普通は同性に頼むものなのではないのだろうか。それとも、それほどまでに安心できる存在だとに認められてしまったのか。(…悪い気はしない)そう、おかしなことに悪い気がしないのだ。むしろ嬉しいと少し感じている自分がいる。(おかしなものだ)まさかにこのような感情を抱く日が来るとは思いもしなかった。厄介なことに、がいる日常に慣れてしまった。慣れたということはが傍にいて普通の状態だということだ。まさか、最初はこうなるとは思いもしなかった。傍にいると心地よいと、そう思うなんて。
 いつの間にか寝てしまっていたらしい。目が覚めるといつも通りの6時半、体内時計は今日も狂いはないようだ。そして横でよだれを垂らして眠る女は残念ながら自力で起きるということができない人間だ。何度ティエリアが彼女を叩き起こしに行ったことか。その間抜け面をしばし眺めて、ティエリアはの額を思い切り叩いた。

「いだっ…」
「起きろ。そして顔を洗ってこい」
「暴力反対…」
「まだ寝ぼけてるな?こっちは寝る場所を半分取られて寝た気がしないんだ。まだ起きないってならもう一度…」
「起きましたっ!!」

 手を少し振りかざした振りをすると、はあまりにティエリアの演技が真に迫っていたのか飛び起きて洗面所へと走って行った。寝た気がしない、なんて嘘をついたがこれくらいいいだろう。どうやら悪い夢を見なかったのか寝顔は健やかであったし、しばらくは大丈夫だろう。
 そう思ったのに。

「…なんだ」
「え?」
「君の部屋はここではないだろう」
「なんで?」
「なんで?はこっちの台詞だ!今日はよく眠れたんだろう?だったらもう自分の部屋に戻ればいいじゃないか」
「そんな一日だけじゃ寝不足は治らないって。しばらく一緒に寝てよ」
「ふざけるな。当然のようにここまでついてきて何を考えているのかと思えばそれか」
「いいじゃん、別になにかするわけじゃないし」
「当たり前だろう!」

 結局根負けをして昨日と同じ状態に落ち着いてしまった。別にティエリアがに対して強く出れないなどと、そういうことでは決してない。単にが強引で、最終的にティエリアがそれを許してしまっているのだ。

「おやすみ」
「ああ。寝相悪かったら蹴り落とすからな」
「物騒なこと言わないでよ」





 そして毎日のようにがティエリアについてきて、ティエリアの部屋の前で一悶着起こし、結局一緒に寝るという構図が出来上がってしまった。たしかにの言うとおり最近のは調子がいいように思える。前のような不穏なことは言わなくなったことはありがたいのだが、結局のところなぜあんなにも悩んでいたのかの理由はわからないままだった。悪夢を見る、といっていたが、それだけではないだろう。だがティエリアと一緒にいることで悩みから少しは解放されているということは確かだ。このまま、の悩みを聞かずに過ごしていってももう問題はないような気はする。根本的な問題は解決されていないままではあるが、無理に聞き出すほど切羽詰った状況とも思えない。そう思いつつもティエリアは今の心地よさに身を任せ、問題を後回しにしていた。そのツケを払う羽目になるのは意外と早かった。

「あっ、ううぁ」
?」
「い、アアッ、ぐッ」
「おい、どうした!起きろ!」

 もはや日課となってしまったとの添い寝。もう何度も一緒に寝ていたのだが、がこうやって苦しむ素振りを見せたのはこれが初めてだった。

「くそ、これが悪夢を見てる所為だっていうのか」
「いや、 い、やだっ!」
「いい加減に起きろ!何に怯えてるというんだ!」

 ティエリアがの頬を強く張ると、が驚いたように飛び起きた。目の焦点が合っていない、とティエリアが正気に戻すためと強くゆすろうとすると、思いがけない動きでに押さえつけられることになった。反転した視界にの切羽詰った表情が写る。

「なっ、おいお前!」
「あ…てぃえ…?」

 はようやく目が覚めてきたのか、ティエリアを見止めるとゆっくりとティエリアの上からどいた。乱れた衣服を正しながらを見ると、よほど怖い夢でもみたのか汗がすごく小さく震えていた。

「…平気か?」
「…」
「これか、君が怯えていた悪夢というのは」
「…」

 何も言わないに少しばかり腹が立ち、せめて目線だけでもこちらへと向けさせようとするとの口から出るはずのなかった言葉が紡がれた。

「ティエリアも、イノベイドなの?」
「なっ」

 イノベイドという存在がこの世にいるということ。それはソレスタルビーイングの中でも最高レベルの機密事項であったし、末端の構成員には知らされるはずもないことだった。それを知っているという事実、の「ティエリアも」という言葉。最近のの問題行動。まさか、という言葉がティエリアの頭に浮かんだ。

「…、君はいったい何者だ」
「…」
「君にはそれを答える義務がある。俺がそれを知る必要もな」
「…わたしは」

 少し強く言い過ぎたかもしれない。の体が強張っていくのを見てそう思ったが、でティエリアが否定をしなかったことに少しばかり安堵を覚えたようだった。

「わたしはヴェーダのために作られてヴェーダのために死ぬ、そういう運命のイノベイド。そしてその時期はおそらくは遠くない。…わたしの頭の中にこの情報が流れてきたのは少し前のことだよ」

 今度はティエリアの体が強張る番だった。がイノベイドであったという事実、もうすぐ死ぬという言葉、そして最近のティエリアの悩みの種であったのおかしな言動の理由。一気に与えられた情報にティエリアは飲み込まれそうになりながら、どこかの今までの態度に納得を覚えた。もそんなティエリアの様子を見て、さらに口を開いた。

「最初はただの変な夢かと思ってたんだけどね、なんだか何度も見るし、知らない記憶は増えていくしで信じるしかなくなってきて。最近は見てなかったんだけど、さっきのは新しい情報が送られてきてたみたい。…ほら、ティエリアも不思議がってたじゃない、わたしの言動に。今まではわたしがヴェーダの…バックアップみたいなものなのかな、そういう存在だってこと知らされてただけで、でもそんなの簡単に受け入れられないじゃない?でも受け入れなきゃダメだってこともわかってるから、いちばんそばにいたティエリアはわたしがいなくなったら悲しんでくれるかなーって思って聞いてたの」
「…」
「それでティエリアはわたしのこと真剣に捉えて考えててくれたじゃない、それ聞いて、わたし死ぬのが怖くなってきちゃって。ティエリア優しいし、一緒にいるたびに死ぬのが嫌になってきて…。本当はティエリアがわたしのこと忘れないでくれればいいな、って考えてたんだけど、それだけじゃ物足りなくなって…!さっき送られてきたのってわたしが生きてていいの、もう少しだって情報だったんだよ?そりゃ、悪夢以上に怖いよ」
「ヴェーダのバックアップになって…死ぬとはどういう意味なんだ」
「…なんかね、ヴェーダって完全な存在じゃないんだって。だから定期的に内部からシステムを復旧させる必要があって、ヴェーダはそれを計算してそれができるイノベイドを作っているの。それがわたしだったってこと。すごくない?わたしコンピュータとひとつになる能力があるんだって。まあ、わたしにその能力以外の”超能力”がついちゃったのは完全な偶然みたいなんだけどね、でもイノベイドって能力者になる確立高いんだって。なんでだろうね。…ああ、それでね、ヴェーダを直すためにコンピュータの中に入ると、もう戻って来れないの。意思だって、残るかわかんないみたい。今までそうやってヴェーダはやってきたみたいだから、わたしの前にもいたし、後にだって同じ役割のイノベイドがいるってこと。ヴェーダがイノベイドを造ってるってなんとなく分かったからさ、頻繁にアクセスしてるティエリアももしかしらたそうなのかなーって思ったの、役割は違うみたいだけどね。…ねえティエリア、何か言ってよ」
「…ヴェーダのためのイノベイド、君が、か?」
「そうだよ。今までティエリアと一緒に組んで、ミッションして、ソレスタルビーイングの一員として生きてきたわたしが…!ヴェーダのためだけに生まれてきて、ヴェーダのためだけに死ぬ存在だったの!それならなんでものであるわたしたちに自我なんて与えたの…!ただの部品として、考えることなんて出来なくしてくれた方がよかったのに!なんでこんなに、残酷なことをするの…。わたしは生きて…生かされてる間に、人と、…ティエリアと一緒にずっと生きていきたいと、そう考えるようになったのに、最初から奪うつもりなら与えないでほしかった、そんな希望」
「…おれ、は」
「ずるいよ、ティエリア。わたしだって、生きて役に立ちたかった…死にたくないよぉ」

 出来ることならばティエリアもとずっとこれからも馬鹿な言いあいをして、たまに喧嘩をして、どちらかが折れるまで意地を張り合って、仲直りをして、そうやって一緒にいたかった。それが当たり前になっていた、行き成り奪われるなんて考えてもしなかった。最初からそうなることが決定していたとしても、そんなことは誰も知らなかったのだ。これほどまでに離れがたい存在になるなんて思いもしなかった。もしティエリアとが出会わずにこのことが突きつけられていたら、恐らくはここまで拒否反応を示さずに従っただろう。ティエリアもそのことを知っていたら、自分の役割を果たせと冷静に言うことができただろう。だが、出会ってしまったが故にここまでその事実が受け入れられない。従いたくなんてない、逃げてしまいたい。イノベイドにとってヴェーダからの命令は何よりも優先すべき事柄だ。否、何よりも優先させなければ生命の危険にすらさらされることなのでまず逆らうという選択肢は生まれない。しかしそれに逆らうという意思が生まれるほどに、互いに触れ合っていくうちに情が生まれてしまった。作られた命だなんて関係がない。命である以上、そこに意思が生まれるものだ。

「わたしたちを作った人は、こんな思いをわたしたちにさせるために感情を作ったの…?なにが、天上人…ただ単に上から見て、笑ってるだけにしか、わたしには見えないっ」
!」
「やめてよ!これからも生きていけるティエリアにわたしのこと責めるなんてできないはずだよ!!それ…それに。ティエリアは、わたしを、責めるの…?わたしは死ぬべきだって、そう言うの?わたしがティエリアと生きたいって思ったこと全部否定する気なの!?」
「そんなわけ、っないだろう!ぼ、僕だって本当は君とずっと一緒にいたい!それが普通だと、これからもずっと続いていくものだと、そう思った!だけど、僕らにとってはヴェーダの意思は何よりも最優先にしなくてはならないだろう!?逆らえば、僕たちの生命活動なんて簡単に止めることがヴェーダには出来るんだ。君は、時が来れば死ぬ。そうプログラミングされてるから、どうしたって一緒にはいられないんだ!それに、よく考えろ。もし僕らがここで逃げたとして、二人で殺されてみろ。僕らの脳からは全ての記憶が消されるだろう。お互いの記憶なんて残らずに、僕らの体には違う人格が産み落とされる。嫌なんだ、僕らに魂があるなんて思えない。そうやって、君の記憶が全て消されるなんて、耐えられない。君を忘れるなんて死んだってごめんなんだ!」
「じゃあ…ティエリアは、わたしだけ死ねって、そう言うのね。わたしのこと、忘れないでいてくれるから、自分は生きて…」
「っ、そうだ。ひどいことを言っているのは分かっているが、僕にとっての最善はそれだ。記憶の中にだけでも君を生かしておきたい」
「…本当、酷いこと言うんだね。今思い返しても、わたしティエリアには酷いことしか言われてない気がする」
「…本当だな。だが、優しい言葉を言う僕なんて僕ではないだろう?」
「うん。そんなティエリア、気持ち悪い」
「…酷いことを言っていたのはお互いじゃないのか。君の暴言もなかなかだったぞ」
「それに、ティエリア途中から一人称が”僕”に変わってた。…気づいてた?」
「っ、俺は」
「今さら変えないでよ。僕ってのがティエリアの本当の一人称なんでしょ?だってその方が合ってるもん」
「ああ…確かにそうだ。君に意地を張っても仕方ないしな」
「うん。…わたしの前では本当のティエリアでいて、最期まで」
「分かってるさ。は我儘ばかりで、いつも僕を困らせるな」
「嫌いじゃなかったくせに」
「ああ。…絶対に忘れない」
「…うん。わたしはヴェーダの中に入って、一体どんな存在になるかは分からないけど、きっとティエリアのこと忘れないよ」
「ああ。約束だ」
「…わたし、本当は使命から逃れることは無理だってどこかで分かってた。でも、それでもティエリアと一緒にいるほうが幸せだったから、つい抗ってみたくなって」
「僕だって君と離れることになったらヴェーダの命令といえど逆らったさ。…だが、これが一番だと、思ったから」
「分かってるよ。ごめんね、責めてるわけじゃないの。ティエリアの考えのほうがきっといいってことも。だってわたしがヴェーダの一部になってもティエリアと会えるわけでしょ?馬鹿なこと考えて、二度と会えなくなるなんて、本当に馬鹿みたいだしね。ティエリアがどれだけヴェーダにアクセスしてるか知ってるから、きっと寂しくなんてないし」

 にやりと笑ったを見て、自然とティエリアからも笑みがこぼれた。そうだ、一生会えなくなるわけではない。ただ、少しだけ遠くに行くだけだ。





 ティエリアはに言われてヴェーダの部屋へと彼女を連れて行った。ヴェーダの今の状態を見たい、とが頼んできたからだ。彼女の役割はそれで合っているし、その事実から逃げないと二人で約束した。

「どうだ?」
「う…ん、もう少しだけなら大丈夫かな」
「もう少しだけか」
「うん。今すぐってわけじゃない。でも長くもない」

 けれども、実際にもう猶予は少ししかないと言われると心に小さな引っかき傷ができたような気分になる。の言葉にそうか、としか答えることができなかったのがティエリアの唯一の心残りだ。
 
 
 それからはできる限りと一緒に過ごした。もちろんしなければならないことを後回しにするようなことはしなかったけれど、空いた時間には二人でぽつぽつと話して過ごすことに決めていた。ヴェーダからティエリアたちへのミッションが提示される頻度が少なくなっていたのは偶然かどうかはわからなかったが、なんとなく偶然ではない気がしていた。
 二人で過ごすといっても内容は普段と変わりはしない。もう無駄とはわかっていたがミッションのシュミレーションをして、戦術について口論し、どちらかが折れる。たまにどちらも折れないときは間に誰かが入って仲裁をして、最終的にスメラギに怒られて。それでも一緒に笑い合って、過ごした。この日常が好きだった。そんなはずはないのにずっと続くと思えた。

 その日は珍しくが自分の部屋で寝ると言っていた。それが普通のことなのに、何故だと思ってしまったティエリアは随分とに毒されていたらしい。彼女を部屋へと送る間に話した会話はなんだったろうか。そんなことを思いながらティエリアは久しぶりの一人のベッドで眠りにおちた。
 なにやら廊下がひどく騒がしかった。声から察するにクリスティナが騒いでいるようだ。ティエリアは心の中に不安と、そしてある確信をもってその場へと足を向けた。






 彼女の死を目の当たりにして自分でも驚くほど冷静であったとティエリアは思う。おそらく周りの人間には自分はひどく冷たい人間に見えたことだろう。だがそんなことティエリアには関係がなかった。彼女の抜け殻が残る部屋を後にし、ティエリアが向かったのはヴェーダのある部屋だ。はここにいるとわかっていたからだ。
 イノベイドの肉体は再利用が可能だ。老化防止のナノマシンが血液中を流れているから、周りの人間に怪しまれないように定期的にイノベイドの記憶を消して新しい人間として社会に溶け込ませる。そしてその目で見たものをヴェーダへと情報として無意識ではあるが送りつける。これがヴェーダが世界最高峰の情報を持つマザーコンピュータと呼ばれる所以である。
 おそらく、がイノベイドであると知っている人間は組織の中にいた。だからこそ彼女をここで育てていたのだ。しかし彼女の能力がティエリアと相性がよく、”戦闘型”のイノベイドであるティエリアと組まされるとは思っていなかっただろう。きっと驚いたはずだ。だからといってもともとのプランを変更するということはなかったみたいだが。そしてきっとその人間はの体に新しい人格を植えつけて違う場所へと送り込むつもりだったのだろう。しかし二人はそれをよしとはしなかった。ティエリアと過ごした体が違うものとして存在することには耐えられなかったし、ティエリアもの記憶を持たない””がこの世で生きることは許せなかった。だからが死んだら手が伸びる前に火葬にすると二人で話し合って決めていた。その準備はティエリアが済ませておいた。そしてティエリアの中ではは生きている。記憶の中だけではない、ここに、ヴェーダの中で息づいている。だからの葬儀には出なかった。彼女はここにいる。ティエリアがヴェーダに繋がれば、こんなにも彼女を感じる。残念ながら、呼びかけてもからの応答はなかったが、それでも自信を持ってはここにいると感じることができる。
 生きている彼女との間に、確固たる絆があったかと聞かれればそれは否と答えるしかない。だがティエリアはを忘れることはないだろう。彼女が欲しがっていた二人の間の証など、何一つ残ってはいないけれど、それでも。に触れ、彼女の死を目の当たりにして、ティエリアは何かを得たのだ。そしておそらくも幸せであったと信じている。

「忘れるわけがない」
 
 忘れることなどできはしない。いつだってとティエリアは繋がっているのだから。そしてほんの少しの羨ましさと寂しさを含ませ、ティエリアはヴェーダとのリンクを切った。



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