それは単なる偶然だった。前回二人が別れたのは約半月前。互いに一つの場所へ留まらずに色々な場所を転々と流れる身でありながら、腐れ縁と呼べば良いのだろうかなんとも奇妙な巡り会わせが発生し再び出会うことが多い。そのためか親交は深く、度々長く共に旅をすることもある。そうやって半月前、最早お馴染みになった「いつか、どこかで」という曖昧な口約束を口にして互いに別れたのだ。こうなってはなにかの縁があるのだろうと再び出会ったとき、離れていた間に何があったかを軽くだが報告し合うことも既に習慣になった。そして現在、茶屋の椅子に座りそれの真っ最中だ。それを面白そうに聞いていたは合間に茶をすするが、見目が整っているだけにそれだけの動作にも艶がかかる。金糸の髪はただでさえ目立つというのに、本人は全く気にせず隠そうともしない。それゆえに薬売りと共にいることによりより一層自然と男女問わず視線を集める。男としての要素を見出せないのような姿ならば尚更である。

「そろそろ、出ますかね…」
「んー」

人目も集まってきたことですし、とは口には出さずに促すと、も分かっていたのだろう、金の髪をふわりと揺らして立ち上がった。旅の中で薬の売れ行きがよかったのか、どうやらここは奢ってくれるらしいのでその好意に甘えてはずっと座っていて固まった身体をぐっと伸ばした。支払いをしている薬売りをぼんやりと見ていると、の目に自然とその後ろの風景も目に入り、なんとなく焦点を合わせてみる。の五感は妖怪の類なだけあって人のものに比べて何倍も優れている。

「どう、しました?」
「あれ、烏、だよな」

が視線で指し示した場所は雑草の生い茂った小川の向こう側。だがそこまでの距離はこの場所からかなりあって、確かに何かが草むらで蠢いているような気はするが普段であったら絶対に風か何かだと思い見過ごしている程度だ。薬売りは切れ長の目を更に細くしたがやはりその姿は映らない。だがの目にはしっかりとその正体まで映っているらしく、ぱたぱたと駆け足でそこまで駆けて行った。

その場所に着くと、は躊躇い無く草むらへと足を突っ込みその場へしゃがみこんだ。後から来た薬売りが雑草で半分隠れたの横に立つと、の腕の中に黒い羽の鳥がいるのが見えた。――烏だ。だがその烏はの腕の中でじっとしており、苦しそうに一鳴きするだけで逃げようとはしない。本能的にが自分たちの最上位にいる怪だと気付いているのだろう。だが動かないのはそれだけではないようだ。全体が黒い所為で分かりにくいが、その身体には赤い液体もこびり付いていてその先を辿ると長い切り傷のようなものがあった。仲間争いか、猫か、――人か。

は労わるように烏の身体を撫で、川の水で少し血を拭いてから持っていた布で烏の傷を縛った。案外傷は深いらしく、すぐにじわりと血が滲んでくる。

「おい薬売り」
「はい」
「血止めの薬とかあるだろ。分けてくれ」
「いいですよ」

は薬売りから渡された薬を烏に塗りつけ、もう一度布を巻いた。少し暴れたが、押さえるとその抵抗はなくなりどれほど弱っているのかが伺える。そうしているうちに少し日も暮れてきた。どうするかと少し話をした後、山の少し中に使われていない小屋があったと薬売りが思い出し今日はそこで夜を過ごすことにした。





「これは…刀傷、ですね」
「…人か」
「おそらく」

小屋に着いて火を焚き、その中で薬売りが薬を塗るついでに烏の傷を見てそう言った。大人しかったのはやはりに抱かれていたからであって、最初薬売りが烏を抱こうとしたらどこにそんな力があるのかと言うほど強く羽ばたいて抵抗した。「嫌われてしまいましたね」といつもの笑みで言う薬売りにはお前が胡散臭すぎるんだと苦笑いをしながら逃げるように自分の後ろに隠れた烏を捕まえたのだ。そして薬売りに自分を差し出すを烏はまるで泣きそうな表情(には見えた)で見つめられたときにははもうどうしようかと思った。宥めると自分に害がないと分かったのか大人しくなったが、未だに薬売りには睨みつけるような視線を送っている。

「やりきれないものだな。どこの餓鬼の仕業だ」

不機嫌そうな顔では烏を撫でる。のいた山にも烏や烏天狗はいた。まだは小さな頃などよく構ってくれたものだった。あそこでは皆家族みたいなものだったし、そうでなくとも自分は八咫烏、烏とは同種なのだ。見えもしない相手に腹を立てても意味のないものだとは分かってはいるが、どうも腹の虫が治まらない。撫でているうちに気持ちが良くなったのか、腕の中の烏は既に寝息を立てて(聞こえる音量ではないが)いる。そっと布の上に置いて、は身体を伸ばした。羽に傷が付いていなかったのが不幸中の幸いだ。傷が治ればまた飛べるようになるだろう。そこまで考えては薬売りの視線を感じた。

「…なんだ」
「仕返しなど、考えないでくださいね」
「ふん…、そんなことはしないさ」
「それはよかった」

薬売りの笑みには不貞腐れたように寝ている烏の横に寝転がった。こうして見ると、最初は死にそうな顔をしていたが随分と良い顔色になっている。人間には分からない烏の微小な表情の変化もにならば分かる。若い烏だ。このまま何年も生きることが出来たら烏天狗にもなれるかもしれない。動物が怪に変化することなど滅多にはないが、それでもあることはある。それには時の流れと意思の強さも必要になるが。自分は最初から妖として生まれてきたのでそれがどんなに大変なことかは分からないが、山にいた妖の姿を持っていた者達の数を思い返してみれば明白だ。

「山から下りてもうかなり経つが、やはり人と妖では考え方が根本的に違うのかね」
「それは、そうでしょう。人には業がある」

そうだ。人と自分たちは合わない。だからこそ、霊山の奥深くでひっそりと暮らしていたのだ。どこかで聞いた、性善説や性悪説のことも考えてみたこともあるが、どうもどちらが正しいとも言えない。親切な者は本当に親切だが、性根が腐りきったやつはとことん救いようがない。山を降りたすぐ近くにある村には何度かこっそりと降りたことがあり、その際には村人たちはよくしてくれた。年のとった村人は、自分が何者か察しているような気がした。だから、人の業を最初に見たときは驚いて、少し悲しかった。ここまで違うものなのか。でも。

「…俺たちにも、業はあるさ」
「貴方の場合は、旨いものが食べたいとかそう言う物でしょう」
「む…」

合わない。合わないと分かってはいるのだが、どうにもこの薬売りは気に入っている。寝転がる自分を見る目は優しいし、自分の見返す表情も同じようなものだろう。何者にも囚われていないようなこの独特な雰囲気が好きだ。

「貴方が言ったとおり、根本的に考えが違うんですよ」

いやらしくない触り方で撫でてくる手が好きだ。白くて長い、あまり体温が感じられない手が。こちらの好意も露骨なものだが、あちらからの好意も随分と真っ直ぐだ。腕を掴んで身体を寄せても、逃げない。座っていた薬売りの上に遠慮なく乗り上げると、はなんとも楽しそうに笑った。少々過度な触れ合いだとは分かっているが、自分は色事に興味はないし薬売りもそのことは知っているだろう。それに、今までも薬売りも自分のようにただ花を愛でるように自然を愛するように接してくれていると思っていたが、本音ではどうなのだろうか。今更聞くのはおかしいのかもしれないが、どうせお互いに体面を保つ性質でもない。

「じゃあ、こうすることの意味も俺とお前じゃ違うのか」
「どうでしょう、ね」

いたずらそうに笑って問うと、薬売りもまた楽しそうににんまりと笑ってはぐらかすような答えを返してきた。しかし最初から答えなど期待はしていない。頭にある紫の布を外し、少し玩んでからはその薬売りの柔らかい質感の髪の中へと手を潜り込ませた。わしゃわしゃとかき混ぜてみるが、表情と同じく髪もさほど乱れない。暫らくの好きなようにさせていた薬売りが、の髪に刺さっている簪に触れた。黒の漆塗りに、赤と金で模様が描かれているそれはいつだったか、かなり前に会った時に自分がに渡したものだ。存外気に入ってくれているらしく、髪を結うときはいつもつけてくれているらしい。色素の薄いに合うかはつけて見るまで分からなかったが、最初に挿したときにも思ったが随分と似合っている。色素が薄いからだろう、濃い色のそれは両方を映えさせる。見つめていると、それに気が付いたのがはにっこり笑った。

そして雰囲気に流されて、二人の顔が近づいたところで寝ていたはずの烏がカア、と一鳴きした。互いの唇が触れ合う寸前で止まり、それまでの雰囲気が消え去る。互いに無言で烏の方を向き、再び目を合わせた。気が削がれたというかなんというか、蜜事中に赤ん坊に邪魔をされた新婚夫婦というか。は早々に薬売りの上からどき、烏のほうへ向かっていった。母親を子供に奪われた薬売りは、ふうと溜息を一つ吐き自分も寝るかと横になった。





朝、薬売りは一面の金を見た。まだ少々寝起きでぼやける視界をぼんやりと認識しながら、それはこちらに背を向けているが大きく羽を広げている所為だと頭に伝わった。天狗。羽、八咫烏。の、綺麗な翼。ゆらゆらと揺らめいている羽は柔らかそうで、実際に幾分か前に触らせてもらったとき予想通り柔らかかったのを覚えている。しなやかにそれをしならせて飛ぶ姿はなんとも言えないほどの美しさで、落ちてくる羽を拾うことで神に触れることが出来たと錯覚することができた。目の前に一枚羽がはらりと飛んできた。それを拾い上げると同時に、振り返ったと目があった。

「起きたのか」
「ええ、今ちょうど」

音もなくの背中から羽が消えた。の腕の中でじっとしている烏とも目が合う。大分具合はよくなったように見えるが、一日そこらで傷が消えるわけはない。暫らくは療養は必要だろう。しばし目を合わせたままにしていたが、数瞬後にぷいと烏のほうから目を逸らした。どうにもこの烏には嫌われてしまったらしい。だからどうしたというわけではないのだが、なんだか少々気に食わない。

「俺は暫らくここに残ることにするけどさ、あんたはどうすんだ」
「――残るの、ですか」
「うん、ここまでして放っておけないし、急ぎの用とかないし。連れて歩くのもこいつに負担かかるだろうから」
「…ふむ」
「薬売り、お前は町から町へ転々としてるだろ?俺はいてもいなくてもどっちでも構わないが、一応聞いておこうと思ってな」

物の怪を斬る。それが自分に課せられたものだと、そう思って呼ばれるがままに今まで旅を続けてきた。今まではそうであって当たり前だし、これからだってそうだ。とは知り合いではあっても、それが自分の行動を遮るものへはなり得ない。…のだが、から視線を下にずらしたところにある烏の表情が、”お前は邪魔だ”と雄弁に語っている…ような、気がした。

「暫らくはここにいますよ」

気が付くと、そんな言葉を口にしていた。

「本当か?いいのか?」
「ええ、前の町で薬が思いのほか売れ行きが良くて、暫らくは生活に困らないくらい溜まりやして。それに最近は退魔の剣も大人しい」
「そうか。いてくれるなら助かるな」

自分にはとは違い烏の言葉は分からないのだが、想いの強さがその壁を越えたのか、手に取るようにどう思っているかがわかってしまう。動物に邪心などないと誰かは言うが、そうとも限らないだろう。動物だって、自分の意思で生きているのだ。

見えない火花を烏と薬売りが散らしているのに気が付かず、はうれしそうに笑っている。こうして奇妙な共同生活は、烏の傷が完治するまでの間、数週間続いたのであった。

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