「え、何それ」
「は?」


後ろから聞こえてきた素っ頓狂な声に私は思わずキーボードを打つ手を止めてしまった。まあでも今やっている仕事は期限一週間後までだからそんなに焦らなくてもいいとして、私は口にものを挟んでしゃべったので、たぶん結也には「は?」じゃなくて「ふぁ?」寄りに聞こえただろう。どうでもいいことだけれど。蛇足。振り返ると、手にコーヒーを入れたカップを持って結也が意外そうな表情をして私を見ていた。


「何が?」
「いや、煙草」
「煙草?」
「吸ってたっけ」
「ああ、そのことか」


デスクの上にカップが置かれたのを横目で見て、一旦タバコを手に持った。私は別に喫煙者というわけではないが、今日はたまたま吸ってみる機会があったのだ。身体に悪いや匂いが服に付くやらで人気のない煙草だが、そんなそれといった味はしないな、と私は思ったのだが。一本の線になって上に上る紫の煙をぼーっと見てたら結也に煙草を取られてぎゅっと指で潰された。あ、消された。というか熱くないのだろうか、それ。


「身体に悪いからやめろよ」
「うん、ごめん」
「で、どうしたんだ?今まで吸ってるとこ見たこと無かったけど」
「笹塚さんにもらった」
「は!?何それ、いつだよ、つーか仲良かったっけ?!」
「嘘だよ。一本こっそりと拝借したの」
「…それもどうかと思うけどな」
「だって、煙草って今まで吸ったことなかったからさ、どんなもんかと思って。ちょうど笹塚さんが箱を机の上に置いたままにしてたから一本もらったけど、うん、昔も思ったけどたいしたことはないんだね。肺に吸わずにいたからかな。でも自分から吸おうとはもう思わないかな、結構匂いキツイね」
「ふーん…確かにちょっと匂い残るよな。換気しろよこの部屋」


そう言って結也は窓を開けた。少しだけ風が入ってきて、結也の髪の毛を揺らした。遅れて私の髪も揺れる。見ると、少し結也は不機嫌そうだった。あれ、煙草嫌いだったかな?やっぱり好奇心で吸うものじゃなかったかな。横の椅子に座って、コーヒーを飲む姿も微妙に不機嫌そうだ。これはいかんな、と思って私はやっていた作業を止めて、データを保存した後にパソコンの電源を切った。


「何、終わったわけ?」
「いや…結也、機嫌悪い?」
「…そんなことないけど」
「そう?なんか不機嫌オーラ放出してるよ」
「出てない」
「出てるよ。このへんに見える」
「出てるとしても見えないよ。見えたら見えたで逆に危ないから俺の前以外でそういうこと言うなよ」
「ふむ、結也は心配性なんだね」
「………」
「はぁん、分かったよ結也、結也が今思ってること」
「…何?言ってみてよ」
「あれだろう、欲求不満か」
「ぶっ!!(コーヒーをぶちまけた音)」
「その若さゆえの抑圧された欲望を私にぶつけたくて仕方がないんだね。そうか、分かったよ、私は喜んでその欲望を受け止めてあげよう」
「なな、何言ってんのお前!?」


私が両手を広げて準備をしたら結也はコーヒーで濡れた服なんて視界に入っていないかの如く突っ込みを入れてきた。妙に顔が赤い。照れているのだろうか。


「でも初めてだから優しくしてください」
「いやいやいやだからちょっと!恥らうな!!」
「?結也は責めるより責められたい派なのかな?よし分かったよ、私が奉仕すればいいんだね、さ、寝て。私の拙い技術で結也が満足してくれればいいのだけれども」
「だから違うって!なんでそういう方向に話が行くんだ!?」
「今までプラトニックな関係だったからね、そろそろ結也も限界が近いのではないかと。大丈夫、結也の年齢なら恥ずかしいことはない普通さ」
「〜〜〜っ!!お前だって年変わらないだろ!」
「うん、この年になってまだ生娘で恥ずかしいけど、未開の地を結也の手で開拓できるんだよ。うれしい?さ、私を結也色に染めて」
「っっっ!!………、……………だから違うって」
「うん?」


結也は私から逃げるかのように顔を手で覆って、下を向いた。うーん、私の渾身の身体を張ったギャグだったんだけれども、思いのほか結也の理性を揺らがせたらしい。耳が赤い。


「さっき吸ってた煙草、笹塚さんのだろ?」
「うん、そうなるね」
「…から、笹塚さんの匂いがして、なんか嫌だったっていうか…」
「………」
「………」
「………」


…なんだろうこの生き物。なんだろうこの生き物!!これは私にどうにかしてほしいということなんだろうか。そういう解釈でよろしいのでしょうか。ああ、そういえばさっき笹塚さんと仲がいいのかとかなんとかって聞いてきたな。まぁ、先輩にあたる人だから仲が良いといったら仲が良いんだろうけど、というか憧れている人でもあるのだけれども、結也に向けている感情とは違うものだって、分からないのかな。分からないんだろうな、可愛いな。結也が下を向いたまま私のほうを向かないので、私は少し自分の服の匂いを嗅いでみた。薄く煙草のにおいがする。…うーん確かに笹塚さんの匂い…するかな?でも服は洗濯すれば取れるし、髪の毛とかはお風呂に入れば取れる。男の人ってこういうのにこだわるんだなぁ、独占欲っていうものかな?ま、可愛い行為なのには違いないけれども。


「でも結也」
「…ん?」
「笹塚さんの匂いはお風呂に入れば消えるけど、私にはたぶん、お風呂に入っても消えないほど結也の匂いが染み付いてると思うよ」
「っ、な」
「だから…うん、なんていうか、一番好きだよ、結也。大好き」
「…カッコいいよな、は」
「だからさっき言った通り、いつでも結也色に染まる準備は出来てるよ」
「…っ!その話に戻るのか!?」
「興味ないの?…そうか、私の身体が貧困なばかりに、結也を満足させてあげることもできないんだね」
「そうじゃなくて!…あー、もう!もう少しの間は大切にしようと思ってたのに!後悔しないんだな!?」
「あ…うん。……強引な結也も好き」
「………可愛いやつだよ、ホント」
「ん、あ、でもその前に」
「え、ここまできてお預け?それは酷くないですか?」
「これは大事なことだよ。さっきまで結也が拗ねていた原因でもあるんだから」
「拗ねて…ないとは言わないけど、何?」


俺としては、ちょっと切羽詰った状態になったのであまり我慢できそうになかったけど、が少し乱れた服を直しはじめたので微妙に意気消沈した。そしてはたぶん、誰から見ても素敵だと思う笑顔をその顔に浮かべて、こう言った。


「お風呂入らなくちゃ」



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